For Lifelong English
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様々な世代の人々が様々な場で、生涯を通して何らかの形で英語にかかわって仕事をしています。英語は人それぞれ、その場その場で違います。このシリーズでは、英語を使って活躍する方にお話を聞き、その人の生活にどう英語が根付いているかを皆さんにご紹介し、英語の魅力、生涯にわたる楽しさをお伝えしていきます。英語はこんなに楽しいもの、英語は一生つきあえるもの。ぜひ英語を好きになってください。
第46回 For Lifelong English
– 立命館大学BKCの誕生にみる大学のイノベーション その1

谷口 吉弘先生
1980年代後半から、21世紀学園構想委員会に委員として参加して、「21世紀の立命館学園構想」中で、新しい理工学部の教育と研究の展開について答申し、理工学部のBKC(びわこ・くさつキャンパス:滋賀県草津市)への移転後、理工学部再編拡充事務局長として理工学部の改革を実施した。1998年から3ケ年間、理工学部長を務める。また、2007年から、生命科学部・薬学部の設置にかかわり、2008年から3ケ年間初代生命科学部長を務める。現在、学校法人立命館 総長特別補佐。文部科学省国費留学生の選考等に関する調査・研究協力者会議 主査、経済産業省アジア人材資金構想 評価委員、日本国際教育大学連合 常務理事を務める。

聞き手:鈴木 佑治先生
立命館大学生命科学部生命情報学科教授
慶應義塾大学名誉教授
日本の産学連携の先駆けとなった大学改革
- 鈴木佑治先生:
- 谷口先生は理系の学問や学会のいろいろな役職もされていて大変お忙しいかと思うのですが、それと同時に先生は常に世界に目を向けられています。以前、立命館大学のBKC(びわこ・くさつキャンパス:滋賀県草津市)ができるにあたり大変ご尽力されていると伺いました。設立準備委員会でのお話を伺えますでしょうか?
- 谷口吉弘先生:
- 現在、議論されている2020年に向かって立命館学園の方向性を考える立命館ビジョンR2020(※)と同様に、1980年代当時、立命館大学が、今後大きく展開していくには、財政自立を含めて理工学部をなんとかしなくてはという学園として大きな課題があり、21世紀構想委員会が発足しました。そこで、理工学部の若手の教員の1人として私が指名され、理工学部の将来構想を考えるために、さまざまな調査を実施しました。
- 鈴木佑治先生:
- ちょうどバブルも崩壊した頃で、銀行が潰れるような時代でしたね。
- 谷口吉弘先生:
- はい。理工系の学部は、教育と研究に大変お金がかかります。学部を拡充しても研究費がなければどうにもならないわけです。研究費をどうやって集めるか、具体的には、寄付集めですよね。理工学部の先生方には寄付集めに行ってもらいました。当時は、企業に行って先生方が頭を下げるなんてありえない話です。企業訪問しても、「寄付するお金はない」と言われました。そこで、「企業が理工学部を支援していただくにはどうすればいいですか?」ということを聞いたところ、「企業との共同研究(委託研究)だったら、何とか支援できます。」ということで解決の方向が見えました。その結果、「企業と一緒に共同研究しましょう」ということになりました。このような経過から、立命館大学が日本の産学連携の先駆けになったわけです。理工学部の先生方には企業に行っていただき、大変ご苦労をおかけいたしました。
- 鈴木佑治先生:
- そうなると先生方にとっても社会に役立つ研究でないとダメなわけですね?
- 谷口吉弘先生:
- そうです。
- 鈴木佑治先生:
- それは斬新な取り組みですよね。
- 谷口吉弘先生:
- ええ。そこから理工学部を中心に産学連携という仕組みができて研究費が集まってきました。立命館大学は、アカデミーとインダストリーが近い距離にある大学です。日本で最も産学連携を実践している大学の1つが、立命館大学だと思います。ですから、産学連携の元々の始まりはBKC(びわこ・くさつキャンパス:滋賀県草津市)です。
- 鈴木佑治先生:
- もちろん、理系ですから産業界とはそういう関係でなくては困りますよね。
- 谷口吉弘先生:
- そうです。理工学部といっても、理系の学科に比べて圧倒的に工学系の学科が多いのです。従来、大学の先生が企業との共同研究のために、企業を訪問することはそうざらにはなかったことです。当時、日本の大学で、先生方が研究費の捻出のために企業訪問して共同研究を申し込むという雰囲気はありませんでした。
- 鈴木佑治先生:
- 今でこそ、とても歓迎されてますけどね。
- 谷口吉弘先生:
- 結局、立命館が先駆けて大学と産業界の研究のボーダーを超えたのです。それまでは、産学連携に対して、まだまだ批判的な大学が多い時代でした。このままではダメだと感じ、研究費の流れを透明化するなど産学連携にかかわる諸制度を整備することにより、産学連携を推進することができました。生物学的には一定の場所に落ち着くと、そこから動きたくなくなる習性があるように思います。そうするとその生物は退化してしまいます。移動して場所がかわると新しいアイディアが湧いてきます。新しい発展のためにも、常に動きをとめない、イノベートすることが大事ですよね。
- 鈴木佑治先生:
- そうなると先生は大学の体質までも変えてしまわれましたね。
- 谷口吉弘先生:
- そうそう、BKCへ移転後、旧来の理工学部は完全に新しい理工学部に変わりました。中途半端に拡大すると、旧制度に巻き込まれて発展できないと言われますよね。だからBKCで展開する新理工学部はその規模を約倍にして、新しい先生をどんどん採用しました。また、大学以外の、企業の研究者も多く採用した結果、硬直した古い体質がなくなっていき、新しい制度への移行がスムーズに進みました。理工学部がBKC移転後、1998年から2001年までの3年間、理工学部長を務めました。
大学とイノベーション
- 鈴木佑治先生:
- その後、BKCには、衣笠から経済学部・経営学部が移転し、また、情報理工学部も新設されました。 先生が始められた生命科学部の学部長になりましたよね。
- 谷口吉弘先生:
- 私が思うに、イノベーションができない大学はダメなんじゃないですか。企業もそうですが、常に止まらずにイノベーションが必要だと思います。ディシプリン(discipline)は確かに保持しなければいけませんが、特にサイエンスやテクノロジーの分野は、世の中の流れにあわせてイノベーションしなければいけないと思います。そういう考えは、大学の経営者にとってすごく大事ですよね。
- 鈴木佑治先生:
- BKCが出来て、経済的にもずいぶん変わってきました。大分県に新しくできた立命館アジア太平洋大学(APU)についてはどうでしょうか。
- 谷口吉弘先生:
- これもかなりイノベーティブです。というのも学生や教員の約半分が外国籍です。文部科学省からは「そんなの不可能です」と言われました。元大分県知事の平松守彦氏が大分県を国際化したいということで、立命館を誘致していただき、土地も提供いただきました。世界はいまやグローバル化の中にあり、社会はどんどん変化しています。自然科学や技術のみならず、社会科学も大きく変化するものと思います。
21世紀はライフサイエンスの時代

- 鈴木佑治先生:
- 先生のお考えでは、理工学部から例えば生命科学へというのもやはり新しい流れなのでしょうか。
- 谷口吉弘先生:
- 19世紀はケミストリーの時代、20世紀はフィジックスの時代、21世紀はライフサイエンスの時代だと言われています。事実、ニュースなどで医療に関する問題などを毎日目にしていますよね。これから、少子高齢化時代の日本において、医療を含めたライフサイエンスが圧倒的に大切になってきます。
- 鈴木佑治先生:
- 我々文系にとっても、ライフサイエンスは基盤になってくると思います。
- 谷口吉弘先生:
- 現在、ライフサイエンスは医療との関係においてイノベーションの中にあります。根幹は変えずにどんどん脱皮をしていかないと。そうでないと、大学の存在価値っていうのがなくなっていくと思います。大学は、社会との接点の中で生かされているのですから。常に、世の中がどんどん変わっていくのだから、大学も変わっていかなければいけません。特に、応用的な学問は、時代とともに進化をしていかないと、学生からも見放されてしまいます。これから、18歳人口は減少期を迎え、大学は厳しい冬の時代になっていきますよね。だからこそ、大学には、イノベーションが大事だと思います。
学生時代の英語学習
- 鈴木佑治先生:
- 先生は学内で40代からリーダーシップをとられていて、それと同時に専門の研究の分野でも様々なご活躍をされていますよね。
- 谷口吉弘先生:
- そうです。今も、僕は研究者ですよ。当時、研究者というと、日本では、常に「どこの大学を出ましたか?」「どの先生についていましたか?」ということが、研究内容よりも研究者の評価対象になっていましたので、京都の私立大学で博士学位を取っても、全然評価されない話だと思っていました。僕自身は高校時代から少し英語ができたので、卒業論文も修士論文も英語で書きました。博士論文は日本語ですが。また、僕の学生時代は、大学では専門のテキストは英語か、ドイツ語で学びました。訳本がなく難しい専門の化学を、英語で学習しなければならない時代でした。そういう時代に教育を受けてきましたから、化学は英語で学ぶものだということが、自然と身についていました。でも、難しい専門の化学を英語・ドイツ語で学びますから、1、2年生はものすごく苦労しましたが、それがわりと自分に合っていました。例えば卒論を英語で書くとか、英語の論文を読むとか、英語が好きなせいもあってそういうことが出来たんだと思います。その他にもこんな経験があります。僕の知り合いの先生が、ハーバード大学を卒業後、日本に帰って来られていて、日本で研究のために、先生の家に常に外国人が訪ねて来るんです。その先生から僕に、研究者の奥さんや子供の面倒をみるように頼まれました。奥さんには辞書片手に買い物に付き合い、子供の宿題の手助けなどをするアルバイトをしていました。そういうこともあって英会話は特段学校で習った経験はありませんが、自然と身につきました。また、その時に外国人に対する免疫みたいなものができて、今でもその経験がずいぶん役に立っていると思います。
研究者として世界へ
- 谷口吉弘先生:
- 一番の思い出は、卒業研究です。僕が卒業研究の指導教官の先生を選んだ決め手が、ちょうどその研究室の先生が外国留学で、日本に不在(助手の先生はおられました)ということで、そこに入れてくれと頼みました。なぜかというと、先生に命令されずに、自分のやりたい研究ができるからでした。研究室で自由に研究をさせてもらい、大学院も同じ研究室を選びました。大学院在学中に、卒論をもとに学術論文も英語で作成しました(最初の論文は日本化学会欧文誌、Bulletin of Chemical Society of Japan)。だから早い段階から、研究者としての第一歩を踏み出していたのだと思います。当時の立命館大学では、英語で外国に論文を出すような学生はまれではなかったかと思います。そんな中、僕はどんどん英語で論文を出していました。ドクターの終わりの頃に、論文がもとで、フランスの学会から、プレナリーレクチャーをしてほしいという特別招待状が届きました。
- 鈴木佑治先生:
- それは何年頃のお話ですか?
- 谷口吉弘先生:
- 1970年頃です。はじめての海外での国際会議の最後に45分講演しました。この会議には著名な、偉い長老の先生が2人、日本から来ておられました。それで、その先生はこの国際会議で20分間の講演でした。立命館の僕が最後に45分講演をしたのでとてもビックリされていました。その当時、立命館大学は世界的にそれほど有名な大学ではありませんでしたが、立派な研究をして成果を出せば、外国人は正しく評価してくれる、ということを強く感じました。日本では立命館出身の大学院生が、日本の学会で話をしても特段の評価はありません。一方、海外では、どこの大学を出ていようと、どんな先生についていようと関係なく、研究のオリジナリティこそが大切で、研究の成果を正しく評価をされることを知りました。この経験で僕はすっかり研究への自信がつき、どんどん研究成果をあげて、英語で論文を書きました。
- 鈴木佑治先生:
- それはすごいですよね。
- 谷口吉弘先生:
- 日本を対象にしていたら、すごく小さくなって、今の自分はなかったと思います。
- 鈴木佑治先生:
- 向こうでは、名前、肩書を一切見ないで論文の内容で審査します、という感じですよね。良いものであれば誰でも評価してくれますよね。
- 谷口吉弘先生:
- 会議のオーガナイザーが非常に評価してくれたことは幸いでした。僕が初めて出席した海外の国際学会だったにもかかわらず、日本からフランスまでの航空運賃の補助が出たり、とても優遇されました。学会開催期間中、ワインもおいしかったし、みなさんがとても楽しくしてくれて、海外の国際会議ってこんなに楽しいものかと思い、すっかり、国際会議のファンになりました。
- 鈴木佑治先生:
- でも、日本の学会はそうじゃないですよね。
- 谷口吉弘先生:
- 日本は全然違いますね。フランスの国際会議から帰ってしばらくしてから、僕が国際会議で話した内容がすごく評判になって、海外の研究者から研究へのお誘いを受けていました。ちょうどその頃、京都で国際会議が開かれることになり、カナダの先生からお誘いを受けて、オタワにある国立研究所で研究をすることになりました。そこで、今まで立命館大学で行ってきた研究分野(熱力学)とは異なる、当時最新の新しいラマン分光分野の研究(分光学)を行いました。研究は困難を極めましたが、帰国直前になって、多くの優れた研究成果を残すことができました。
立命館大学ではじめての課程博士第1号の誕生

- 鈴木佑治先生:
- 先生は立命館博士、第1号と聞いていますが?
- 谷口吉弘先生:
- はい、僕は工学博士で、立命館大学の博士課程(甲)の第1号です。みなさんは理工学部で第1号の課程博士取得者と思っているけれども、そうではなくて、立命館大学全体の課程博士(甲)の第1号です。博士には甲と乙があり、甲は課程博士(大学院課程に所属して所定の単位を修得して、博士論文審査に合格)、乙(大学院課程に所属しないで、博士論文審査に合格)は、論文博士です。昔の博士号は論文博士が主流ですが、各大学に大学院課程が発足してからは、課程博士が主流になりつつあります。僕は立命館大学での課程博士(甲)1号なので、今後、課程博士論文のすべての基準になることから、京大博士論文に相応していることがふさわしいとして、慎重に審査することが求められました。このため、審査員には京大の先生にも加わってもらい、京大で博士論文の内容についても講演し、博士論文提出、約1年後に審査に合格して、立命館大学課程博士第1号が誕生しました。
- 博士論文の内容は伝統的な基礎物理化学でしたが、カナダでの研究は世界の最先端の研究で、東大の分光学の流れを汲むものでした。国際会議がアメリカで開催された時に、僕たちの研究がカナダの先生より紹介され、高い評価が下されました。「カナダにいる日本人が立派な研究成果をだしている。」ということが評判だったようです。帰国したら、東大の先生から電話があって講演依頼をいただきました。そのことが縁で、東大の先生の研究室で数年に渡り、ラマン分光の立ち上げを手伝うことになりました。いつも僕は、外国で研究の高い評価を受けてきました。
サイエンスとコミュニケーション
- 鈴木佑治先生:
- 先生は生命科学部と薬学部のアカデミックライテングを教えていますけど、どんどん学生さんにも躊躇することなく、発表して欲しいという気持ちがおありですよね。
- 谷口吉弘先生:
- 言葉はコミュニケーションだから、やっぱりコミュニケーションがきっちりできないとだめだと思います。書くのはまた違いますが。構想力とか思考力の訓練をきちんとしないといけないでしょう。大学を卒業した教養人として、一つは専門をきちんと勉強できているということ、もう一つは英語が話せるっていうことが、最低条件だと思っています。専門を理解できて、次に専門を英語で話せるというのが今の大学生の基本要件じゃないかと思います。
- 鈴木佑治先生:
- 世界全体を見て、世界全体の人と仕事をしていくには、ということでしょうか?
- 谷口吉弘先生:
- 特にライフサイエンスもそうですけれども、サイエンスのコミュニケーションはもともと英語なんです。そのサイエンスの文章立というのは、短文、クリア、シンプルですよね。要するに、正確に内容を伝えていかなければいけないので、英語はそういう意味で日本語よりもすごく便利で有用な言葉だと思います。だからサイエンティストになる基本要件は英語をどのように使えるかということです。書くだけではなくて、やっぱり英語でコミュニケーションができなくてはいけません。
- 鈴木佑治先生:
- そうですね、英語で一緒に仕事や研究ができないといけないですものね。
- 谷口吉弘先生:
- それが必要最低条件だと思いますよね。
- 鈴木佑治先生:
- サイエンティストはやっぱり、一人では研究できないのでしょうか。
- 谷口吉弘先生:
- 数学や理論物理は別でしょうけれども、やっぱり実験研究ではグループあるいはチームで研究することが多いです。初めてカナダで研究生活を送った時も、10時のコーヒータイム15時のティータイムが毎日ありました。常に、誰とどこに行ったなど、研究の話以外でもすごくコミュニケーションをとりますよね。フランスでもワインを飲みながら常にしゃべっていました。日本人はしゃべらなさすぎる気がします。だからコミュニケーションをするっていうことは非常に大事で、ふと気が付くことがあってアイディアが湧いてきたりするので、一人で考えていても限界がある気がします。日本ではコミュニケーションというのが、すごく軽んじられているという気がします。情報社会の中でPCや携帯の普及により、人と顔を見て話ができない、コミュニケーションができない子供が増えてきているように感じます。要するにコミュニケーションができないということは自分の存在がなくなっちゃうわけですよね。
- 鈴木佑治先生:
- 自分はこうである、自分の言いたいことはこうであるということを。
- 谷口吉弘先生:
- そうそう。
- 鈴木佑治先生:
- それから、相手のことを聞かないといけないですよね。向こうでは、常に誰かともっとしゃべってますからね。
- 谷口吉弘先生:
- しゃべっているでしょ。僕はね、日本ではインターネットや携帯がものすごくコミュニケーションを阻害しているように見える。僕は1年生の授業の中で、「君は自分の顔が見えるか?」、「見えへんやろう?どうして自分の存在を確認してるんや?」と質問しています。「相手と話をすることで自分の存在がある。だまっていたら自分の存在を確認できないだろう」だから話しなさいと。表現しなさいと常に言ってるんです。
- 鈴木佑治先生:
- 表現者じゃないと、どうしても生産者じゃなくて、消費者になってしまう、受け身になってしまいますよね。
次回は、「留学生受け入れ等における谷口先生の活動について」をお伺いします。
R2020(※)
学園ビジョンR2020の略。立命館大学・立命館アジア太平洋大学・附属校・小学校を含めた立命館学園全体が、学園の理念を示す立命館憲章を踏まえて、2020年にどのような学園を目指すのかという将来像を示すもの。

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