TOEFL Mail Magazine Vol.62
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生涯学習のすすめ For lifelong English

様々な世代の人々が様々な場で、生涯を通して何らかの形で英語にかかわって仕事をしています。英語は人それぞれ、その場その場で違います。このシリーズでは、英語を使って活躍する方にお話を聞き、その人の生活にどう英語が根付いているかを皆さんにご紹介し、英語の魅力、生涯にわたる楽しさをお伝えしていきます。英語はこんなに楽しいもの、英語は一生つきあえるもの。ぜひ英語を好きになってください。
[For Lifelong English|生涯学習としての英語]バックナンバーはこちら>>

第5回
プロのオーケストラ打楽器奏者に聞く! その2
〜マレーシアで活躍するプロのパーカッショニストに聞く 音楽、多言語文化、英語のつながり〜

鈴木 佑治先生

鈴木 佑治
慶應義塾大学環境情報学部教授  兼 
同大学大学院 政策・メディア研究科委員


今回のインタビュー

菊池清見さん菊池清見さん

マレーシアフィルハーモニー管弦楽団 Malaysian Philharmonic Orchestra(MPO) assistant principal timpani/percussion 副首席ティンパニ・打楽器 
現在首席打楽器代理

 前号より、マレーシアで唯一のプロのオーケストラ、マレーシアフィルハーモニー管弦楽団 Malaysian Philharmonic Orchestraで打楽器奏者であり主席代理としてもご活躍されている菊池清見さんのインタビューをお届けしています。
 高校時代に交換留学生として米国に留学したのがきっかけで、マレーシアフロリダ州立大学の音楽科に進学し、その後かの有名な名門ジュリアード音楽学院の大学院に進学し修士号をとるやプロとして活躍されています。その前向きなエネルギー溢れる人生に、英語はどのように関わっていたのでしょうか。音楽の才能を見い出され、英語を身につけ、そして多言語・多文化の環境を実に楽しんでいらっしゃる菊池さんのこれまでの経歴の中に、英語が上達するカギも隠されているような気がしてきました。

第二回目は、どのようにして打楽器と英語に出会い、魅せられていったのか、現在の菊池さんの土台を作った学生時代について語っていただきます。
★☆★ ”その1”を読む ★☆★

キッカケは高校2年の交換留学
鈴木 菊池さんは日本で小さい頃から打楽器の特別な勉強をされていたのですか?

菊池

いいえ。音楽は子どもの頃から好きで、ピアノやヴァイオリンを趣味でやっていましたが、それだけです。兄が吹奏楽部でトランペットをやっていたので、それにくっついて小学校4年生から学校の器楽部に入りました。そこで先生に「君は打楽器に行きなさい」と言われたのが打楽器との出会いです。以来、中学・高校も吹奏楽部で打楽器を演奏しました。野球の応援に行ったり、高校までの吹奏楽はただただ楽しくよく覚えています。
鈴木 「スウィングガールズ」という映画がありましたね。東北の高校生たちが、ある日、みんなでなにかやろうと、吹き始める。特訓してだんだんうまくなって、コンクールに出る。音楽って楽しいですよね。英語の勉強は特別にされたのですか。
菊池 好きでしたけど、別にこれといって勉強したことはありません。中学の成績も普通でした。あの頃は父が、毎年4月になるとNHKのラジオ講座のテキストをハングル講座から何から全部買ってきていました(笑)。その影響が少しはあったのかもしれません。
 高校で交換留学のポスターを見て、その時点では英語ができるわけではありませんでしたが、ただ行きたいなあ、やってみたいなあという気持ちだけは強く、留学を決意しました。
鈴木 それは非常に重要なこと。音楽が好きだったこともよかったですね。留学先の高校生とお互いにシェアするものがあったでしょう。フロリダに行ったのはなぜですか?
菊池 たまたまです。決定した先がフロリダのニューポートリッチという、小さな町でした。タンパから1時間ぐらい北へ行った所です。レストランに入ると、みんなが振り返るくらい、日本人はめずらしがられました。でも、居心地はよかったです。私は背が高いので、日本の高校では少し大きすぎるくらいでしたが、向こうへ行ったら、のびのびできました(笑)。
鈴木 留学先の高校はどんなバックグラウンドだったのですか。
菊池 ほとんどがヨーロッパ系アメリカ人でした。1割ぐらいがアフリカ系アメリカ人で、0.5割ぐらいがヒスパニック系。アジア系は1人か2人ぐらいでした。日本人のことなど知らなくて、「毎日寿司食べるの?」とか、「空手できるの?」といった、ステレオタイプな日本のイメージを伝えられ、逆に新鮮でした。
鈴木 僕なんか名字が「鈴木」だから、アルバイトしている時に、「お前スズキモーターサイクルの息子か」って言われましたね(笑)。ずいぶん昔だけど。
 留学先の高校ではたくさん宿題が出て鍛えられたでしょう?
菊池 はい、大変でした。授業にテープレコーダーを持っていって、家で聞き直して復習して、宿題をやって。卒業したいという希望があったからできたのだと思います。それがなかったら、もうちょっと怠けていたかもしれない。シェークスピアとかベオルフとかを読むんです。日本の本を送ってもらったりしても、よくわからなくて。1年で4、5作は読みました。
鈴木 1年で4、5作?それは大変。ベオルフなんか古典で、古代英語(Old English)で書かれている作品だし。一番ついていけない部分ですよね。
菊池 はい。あとは、アメリカン・ヒストリー、ワールド・ヒストリーの授業が印象に残っています。マセマティックス(数学)は得意でしたね。あとはやはり音楽です。卒業の前には、好きなトピックを選んで論文を書かなければいけませんでした。ベートーヴェンについて書きました。
鈴木 とにかくいろんな授業を取ったわけだ。クラブはやはり吹奏楽部ですか?
菊池 はい。マーチング・バンドで、フットボールシーズンが終ると、コンサートに出たりもしました。そうするうちに、吹奏楽の先生や私のホストファTOEFLメールマガジン、ForLifelongEnglishのインタビューの様子ミリーのホストマザーがいろんな地域のオーディションやコンテストに連れて行ってくれるようになりました。「この楽譜を勉強しなさい」と言われたら、16歳の日本の女の子ですから、ノーとは言えない。「ハイ、ハイ」と一生懸命練習して(笑)。そうして受けた中の1つがフロリダ州立大学のオーディションだったんです。このような流れで進学する大学まで決まったので、必要となるSATとTOEFLテストの点数を取り、向こうの高校を卒業しました。
鈴木 アメリカの大きな州立大学にはデパートメント・オブ・ミュージックがありますよね。単科の音楽大学ではなく、総合大学の中に音楽学部や芸術学部があって、普通のカリキュラムのなかで、みんな履修できる。あの制度は音楽や芸術を愛好する層を広くするのに貢献していると常々感じています。学生がしょっちゅう学内コンサートを開いていたりして。TOEFLテストもクリアできたんですか?
菊池 いえ、そこでTOEFLテストの点数が届かなかったのです。「次の機会に受けて規定の点数を取れたら」という条件がつきました。2ヵ月間でスコアを伸ばせればスカラシップ(奨学金)をあげます、と。
鈴木 TOEFLテストの点数が足りない!日本人はここでダメだと思ってしまう。だけど、アメリカは「これだけ足りないよ、勉強してスコアを上げなさい、チャンスをあげます」という考え方だから、落胆することは全然ないんですよね。再受験の前は、どんな勉強をしたのですか?
菊池 分厚い問題集を買って、ひたすら勉強しました。
鈴木 1年滞在したんだからリスニングはよくできたのではないですか?
菊池 そうですね。時間の制限があるから読解の方が難しかった記憶があります。

鈴木の一口コメント
今回の菊池さんの話から、アメリカの大学が積極的な人を高く評価することがよく分かります。大学や大学院に応募して結果ダメであったとしましょう。でもそれであきらめてはいけません。どこがダメなのか手紙を書いて聞くと、その理由を言ってくれます。そこで足りないところを補うので入学を許可してくれるよう、手紙(petition)を書きます。それが認められれば条件付きで入学を許可されることがあります。菊池さんの場合、TOEFLテストのスコアが届かなかったようですが、そのスコアを上げることを条件付に入学を許可されました。それどころか奨学金までもらえたのですからすごい。交渉する能力はとても大切です。菊池さんは、中学生、高校生の時からクラブ活動などを通してその能力をつけていったのではないでしょうか。音楽を学びたいという情熱が英語の力も引っ張っているような感じがします。相当がんばったのでしょうね。

 

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