友人が「セントルイスで打楽器の先生を募集しているよ」と教えてくれたので、面接を受け、セントルイスに引っ越しました。セントルイスの交響楽団がコミュニティーミュージックスクールという学校を持っていて、そこで教えました。そこは、試験とか年齢制限もなく、誰でも行ける学校で、生徒はさまざま。一番練習してくれる人は55歳ぐらいのおじさんでした。2年ほどいて、その間、セントルイス交響楽団で演奏したり、車で2時間ぐらいのところにあるイリノイシンフォニーに叩きに行ったりする機会に恵まれました。ですが、このままアメリカにいたらアメリカ人になってしまうと思ったので、一度日本に戻りました。
日本では新日本フィルや東京交響楽団など単発で演奏の機会に恵まれたのですが、1年近く経つとやはりオーケストラに自分のポジションが欲しいと思うようになり、また多くのオーディションを受け、そのなかのマレーシアシンフォニーのオーディションに受かり、今の職に就きました。 |