本コーナーは今回が最終回になります。ご愛読いただき誠にありがとうございました。産婦人科医の吉田穂波先生から、グローバルな時代を前向きに生きるためのヒントを、ご自身の子育てや留学経験、キャリアを通じて教えていただきました。最終回では「ハーバードで身につけた『生きる力』」の後編をお届けします。是非、ご覧ください。
前編の内容はこちら
助けを受け止める「技術」があると、支援する人とされる人の気持ちが通います。
受援力を支えるアサーティブ・コミュニケーションとは、自分の意志を、相手にとって気持ちのいい形で伝える方法であり、この「伝え方」=自分を助ける力となります。
受援力とは、相手に「人の役に立つことができた」と感じさせ、自己効力感を高め、「いい気分」にさせる能力。人に頼むことは悪いことでも迷惑でも何でもなく、お互いにとって良いことなんだ、ということは学問的にも証明されているのです。その一つが、ハーバード時代に学んだ「ソーシャル・キャピタル(人間関係資本)」というキーワードで、人との関わりが人間の健康状態に影響を与えるというセオリーでした。頼むことで繋がり、頼まれることで自己価値観が向上する。助けを求めることでそれまでにないリソース探しのエネルギーが湧き、困った状況の中で人と繋がることができる。これは、よくよく調べてみると、人間が社会的動物として古くから培ってきた能力のようなのです。現代社会に生きる私たちは、ほかの機械やツールで代償できるために、人間関係による助け合いの価値を低く評価するようになり、そのために「人に頼む」という原始的なスキルが低下しました。国内外問わず、医師として、母親として、学生として、研究者として、また一支援者として、様々な立場を通して「人に頼ること」「人に助けられること」について勉強を重ねたおかげで、現代社会では「頼みあうことのメリット、総力戦で当たることの重要性」が忘れられている、という思わぬ落とし穴のあることに気づきました。
また、聴く力、認める力、褒める力が効力を発揮するということも、私には面白く映りました。「相手を立てる」「褒める」「持ち上げる」ではなく、感謝を言葉にする、笑顔で喜ぶ、これだけで人の力が引き出されるのです。
たとえば、ハーバードで目覚めた「受援力」の実践例には、次にお話しするようなものがありました。
借金までして留学したのに、最後の最後で卒業できない??という状況に陥った時のことです。
卒業式1週間前に、学務課から「単位取得のための手続きにミスがあり、あなたは卒業できません」というメールが届きました。それも、卒業式の前の週の木曜日の夜に、「金曜日の夕方5時までに手を打たないと留年です」とあるのです。高額の学費も保育料も家賃も、これ以上払い続けることはできません。英語もおぼつかない日本人留学生の私が、陥った大ピンチ。火事場の馬鹿力を発揮して、必死で作成した奇跡の英文メールは下記のようなものでした。
それは、ハーバードのネゴシエーション講義で学んだ原則です。感謝の気持ちを伝えること、人間的な関係を築くこと、建設的な代案を示すこと、そして相手が明らかに間違っている時でも責めず味方にして、解決する賢い言葉を使うという3つの鉄則です。
私がこのメールを読んだのは、なんと、メールが発信された3日後で学務課が閉まっている土曜日の朝。もうすぐ自分が卒業できることに何の疑念も抱かず、卒業旅行でカナダを旅している間にメールチェックをしたのでした。しかし、ここで何としてでも卒業するため、単位登録の手続きミスを挽回するために、土曜日から日曜日にかけ、力になってくれそうな人に協力依頼メールを送るなど必死で行動しながらも、事務担当者には下記のようなメールを忘れませんでした。
このようなメールを出しても、最初はダメだという一点張りの事務的な返事がくるだけでしたが、何度も感謝の気持ちを述べるうち、対応が変わってきました。以前の私なら、卒業式の直前に無茶な難題を突きつけられたらカッと来て、学務課の担当者の非を責め、お互いに対立構造になっていたことでしょう。でも、ハーバードのネゴシエーションやコンフリクト・マネジメントのクラスでは常に「お互いの共通利益となるゴールを見つけ、それに向かって一緒に進む姿勢を」と教わってきたのです。勝ち負けではなく、人と利益を分かち合うやり取りをしよう、といつも言われてきました。
そこで、決して相手を責めず、徹底して「相手は私の役に立ちたいと思っている」という姿勢で接しました。
すると、だんだん、私と一緒になって心配し、すまない気持ちになっていることが伝わってきました。
私からも、負けずにお礼の返事をしました。
そして、ついにほかの教師の協力があり、何とか、単位取得と卒業を認めてもらうことができました。
この時も、すでに「同志」となっていた学務課の人と、一緒に喜び合うことができたのです。
このメールのやり取りをしたのは日曜日でしたが、担当者からは、非常に人間味溢れたお返事があり、ここで改めて、卒業は約束されたと感じました。
このように修羅場の中でも、メールで「相手の助けたい力を引き出す」言葉が入るだけで、こんなに対応が違う!!ということを実感したのです。
東日本大震災の中で、人に迷惑をかけまいと自分だけで問題を解決し、孤独を抱え、病んでいく人々を見るにつけ、日本では他人に助けを求めない、というよりは、助けを求める術を知らないのではないかと思いあたりました。忍耐が美徳なのではなく「忍耐できない=恥」と教えられている、自分で自分や家庭も守れないのは人間失格、といつのまにか思い込んでいる私たち。真面目で努力家の人ほど、自分で自分を追いつめてしまいがちです。
しかし、助けを求めると同時に感謝し、ねぎらい、いたわり合い、人間的な関係を築けば、それは実は相手の人間性を高め、助け合うことでより良い人間関係を構築でき、助けてくれた相手の「人を喜ばせたい気持ち」を満たしている、という逆転の発想につながります。
助けを求める、だけを考えると「申し訳ない・・・」と遠慮してしまいそうですが、人に頼ることと、わがままで人に迷惑をかけるということとは全く違います。力になってもらった後、相手に感謝する、喜ぶ、など、モノでは代わりにならない大きな対価を与えることができればWIN-WINの関係となります。そして、人の力を借りた分、頑張ろう、恩返しをしようと努力するようになり、誠実さと善意の良い循環を生み出すことに繋がるのです。
上手に助けを求める+たっぷり感謝する+大いに喜ぶ、をセットにすると、相手にも喜ばれることを明らかにすれば、助けを求めることが楽になり、これによって頼む側の心理的なハードルをなくす効果があるのではないかと思いました。
助けたいと思っている人も、助けてもらった人も、“心の通い方、優しさの示し方”一つで、実はお互いがお互いに助けられ、人の役に立ちたいという原則を最大限生かす方法に繋がるのではないかということ。これらのスキルをグローバルな社会に生きる日本の方々が自分の得意技として使えるようになれば、という思いで作ったのが、「受援力ノススメ」です。
誰もが本能的に持っているこの能力を思い出し、グローバルな現代社会でも、人の協力を得ながら成功していくことができるよう心から願っています。
ほかにも、毎日が戦闘態勢でコミュニケーションを取っていた留学初期には
「偉い人ほど普通に扱われたく思い、偉くない人ほど偉い人のように扱われたい」
という原則を実感しました。
と言いますが、立派な人ほどチャーミングでオープンで、新米学生にも分け隔てなく接してくれるのです。ボストンというアウェイな場所で、弱い立場になったからこそ見えてきた真実でした。
また、何か頼みごとをするときには最初に
と感謝の言葉を入れることも、留学中の周りの人々のうまいやり方を見ていて学んだ方法です。
メールの文章ではネガティブなことは決して書かないように、どこで転送されるか分からないから、というのも、留学中に叩き込まれた鉄則の一つでした。
以上、書き続ければきりがないほど、私が学び、皆様に伝えたいことがたくさんあります。
読者の方々とは、またどこかで再会し、お互いの学びや気付きをお話しできるのが今から楽しみです。
これからの時代を生きる方々には、私のようにゼロから学び始めるのではなく、私が学んだことを最初から手に入れて、さらにステップアップしてほしいと思います。
長い間お付き合いくださいましてありがとうございました。
皆様のご活躍を心よりお祈りしています。