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株式会社聖護院八ッ橋総本店 専務取締役 鈴鹿可奈子氏インタビュー
  • 鈴鹿可奈子氏
  • 株式会社聖護院八ッ橋総本店
    専務取締役

 

“見た目が可愛いといったところから入って、少しでも八ッ橋に触れてもらえる入口を増やしていきたい”

八ッ橋はとてもよく知られたお菓子ですが、由来をお聞かせください

鈴鹿氏:
聖護院八ッ橋総本店の創業は元禄2年(1689年)になります。その当時お琴の名手であり作曲家でもある八橋検校(やつはし けんぎょう)さんという方がいらっしゃいまして、1685年に亡くなられて金戒光明寺に葬られましたが、お弟子さんやファンの方がたくさんお墓参りにいらっしゃいました。検校さんゆかりのお菓子が何か出せないかということで考案され、金戒光明寺の参道、現在の本店にて売り出されたのが八ッ橋の始まりです。八ッ橋と言うと生八ッ橋を思い浮かべる方も多いかと思いますが、焼き菓子の方が元々の八ッ橋です。形はよく、瓦型とか、八ッ橋から「橋」の形とか言われることがあるのですが、そうではなくて八橋検校さんからお名前をいただいて、その楽器であるお琴を型取ったものなのです。一方の餡入り生八ッ橋『聖』は、比較的新しくて1960年にお茶席で生まれています。

株式会社聖護院八ッ橋総本店 専務取締役 鈴鹿可奈子氏インタビュー
▲ 餡入り生八ッ橋『聖』

編集部:
戦後に作られたものとは知りませんでした。
鈴鹿氏:
実はそうなんです。このぺろっとした外側の生八ッ橋自体は昔からあったようなんですけれども、当時は輸送・保存技術が発達してなかったので流通はせずに、おそらくご近所の方々のみお召し上がりいただいていたのだろうと言われています。あまりにも好評なので「餡を入れてお茶会にお出ししたらどうか」とお茶席において、ご提案いただいて作り始めたのがその年です。表千家の当時のお家元である即中斎宗匠が私の祖父と懇意にしており、そのお菓子に「神酒餅」という銘を付けていただいてお出ししたのが、餡と合わせた生八ッ橋の始まりになります。商品になったのは、それから7年後の1967年で、おそらく箱詰めなどしやすいからという理由で、三角形の形になったのでしょう。現在では、生八ッ橋のほうが有名ですが、当店では300年以上続いている昔からある焼き菓子の八ッ橋も大事にしています。

聖護院八ッ橋総本店
▲ 創業以来変わらない『八ッ橋』

ご自身のお仕事内容やお仕事に就くきっかけを教えてください

鈴鹿氏:
入社して最初は工場に研修に入って、しばらくして経営企画室の室長になりました。海外で経営の基礎は学んできたのでそれと照らし合わせて、業務の改善をしたり、また商品の企画を行いました。デザインしたり企画することが好きだったこともあって、包装紙を変えたり新商品の開発に携わったりした後、2011年に新ブランドの『nikiniki』(ニキニキ)も立ち上げました。今の肩書は専務なので、経営面・企画面も含めて広く社業に携わっています。
編集部:
『nikiniki』というブランドを立ち上げたということですが、入社した頃と、現在とで仕事に対する視点など変わったのでしょうか。
鈴鹿氏:
そうですね。入社当初は歴史の長さに対するプレッシャーが大きかったのですが、今は、逆にこの長い歴史に支えられて色々なチャレンジができるという風に思えるようになりました。段々と「プレッシャー」に思っていた歴史が「支え」に変わってきました。私は幼い頃から八ッ橋が大好きでよく口にしていましたが、大学生になって、「あれ、京都の人は案外食べていないな」ということに気づき、もっと京都の若い方に親しみやすいお菓子を作りたいという想いがありました。会社を継ぐと決めた時からずっと私のベースになっているのは、「このお菓子が好き」ということです。私自身いっぱい食べてきていますし、何より美味しいので、少しでも多くの人に「美味しい」と言ってもらいたい、という気持ちは、ずっと変わりません。戦略を練るのではなく、自分が食べたいものを作ろうというのが一番にあります。

『nikiniki』
▲ 『nikiniki』の生八ッ橋『カレ・ド・カネール』

編集部:
八ッ橋を広めたいというお気持ちが新しいブランドである『nikiniki』に繋がったのでしょうか。
鈴鹿氏:
『nikiniki』というブランドを別に立ち上げようと思ったのは、「お土産用には買ってもっていくけれども、自分用には食べたことがない」という地元の声を聞いて、まず、「食べてもらえていないということは、お菓子としてのスタートに立てていないのでは」と考え、地元の若い人に楽しんでいただけるような八ッ橋を作ろうと思ったためです。ただその中でも、絶対守っていることがあって、『nikiniki』で使っている八ッ橋や生八ッ橋は聖護院八ッ橋のものと全く同じなのです。厚みを変えたり、形を変えたり、色を変えたりしているだけで、ベースは絶対に変えません。また、にっき関連のお菓子も出していますけれども、それも聖護院八ッ橋の八ッ橋に使っているにっきを使う。『nikiniki』は色々なものに手を出すのではなくて、あくまでも八ッ橋とにっきの専門店です。このユニークさはぶれないようにしようと思っています。食べた方が「これ美味しい。普段の八ッ橋と違って食べやすいね」と言っていただくことがあるのですが、同じであることを伝えると、「八ッ橋ってこんなに美味しかったんだ」と驚かれることが多いんです。お土産用ではなくて、自分達の生活の中に自然に八ッ橋がある、というようになっていけばと思っています。見た目が可愛いといったところから入って、少しでも八ッ橋に触れてもらえる入口を増やしていきたいと思います。

『nikiniki』
▲ 季節の生菓子(ハロウィーン)

編集部:
新しい商品を告知される時に英語でも発信されるのでしょうか。
鈴鹿氏:
まだホームページに英語表示がなかったり、英語に関してはかなり遅れているところがあるのですが、商品の説明は英語で少しずつ作っていこうと思っています。また、海外の方へのプレゼンや講演の依頼をいただくことがあるのですが、そういった時は英語で発信ができるので、英語を学んでいて良かったと思います。
編集部:
海外から日本へ訪れる旅行者が増加しているというニュースをよく聞きますが、御社では特別な対応などはされているのでしょうか。
鈴鹿氏:
海外の方は英語圏の方もアジア圏の方もとても多いです。もちろん英語は大事で、問われた時に答えられるようなものは用意していますが、英語圏の方が多いからといって、お店に英語の説明を貼るようなことは絶対にしないことにしています。私たちが海外に行ってお店に入った時に、日本語の説明が貼ってあるお店や書いてある商品はあまり選ばないですよね。それと同じように、親切と思ってしていることや社内でその方が楽と思っていることが、「お客様にどういう印象を与えるのか」、そこは絶対に忘れないようにしています。
編集部:
口コミで買われる方も増えていますか。
鈴鹿氏:
増えています。海外の方から「お土産でもらって美味しかった」「どこで売っているんですか」などのメールやお問合せをいただくこともあり、口コミでの広がりを感じております。

株式会社聖護院八ッ橋総本店 専務取締役 鈴鹿可奈子氏インタビュー
▲ 『nikiniki』の店舗

次号(2015年10月27日更新予定)は「株式会社聖護院八ッ橋総本店 専務取締役 鈴鹿可奈子氏インタビュー ―後編―」をお送りいたします。

株式会社聖護院八ッ橋総本店 専務取締役 鈴鹿可奈子氏インタビュー
  • 鈴鹿可奈子氏 プロフィール
  • 京都市生まれ。京都大学経済学部経済学科卒業、在学中カリフォルニア大学サンディ エゴ校エクステンションにてPre-MBA取得。卒業後、信用調査会社勤務を経て、2006年聖護院八ッ橋総本店入社。「守るべきことを守ること、続けていくことが大事」という父・鈴鹿且久社長のもと、長い歴史と伝統の味を守り受け継ぎながらも、新しい商品づくりに日々努めている。2011年には新しい形で八ッ橋を提供する新ブランド「nikiniki(ニキニキ)」を立ち上げた。現在、専務取締役。
  • 株式会社聖護院八ッ橋総本店
  • 創業元禄二年(1689年)。黒谷の金戒光明寺に葬られた、近世筝曲の開祖と称えられる八橋検校を偲び、琴の形に似せた菓子を参道である聖護院の地(現在の本店)にて売り出して以来、八ッ橋の製造販売を続ける。
    以来、生八ッ橋、餡入り生八ッ橋「聖」など商品も多様化し、京都のお土産物として親しまれるようになる。
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