“多様な価値観に触れることによって、自分自身や日本について考え直すことができた”
日本の大学4年時に高校の教員を志望していましたが、まだまだ英語の勉強をしたいと思い1年間の留学を決意しました。ただ留学に行くだけでは意味がないと思ったのでいくつかその目的と目標を明確にし留学しました。
目的は、「英語の教員、野球の指導者として英語力・野球指導力をつけること」「また、異文化に触れることによって自らの視野を広げ、自分に付加価値をつけて帰ってくること」でした。
私の住んでいる地域の教員採用試験・英語の一次試験免除の点数が860点だったため、帰国時にTOEICテストで最低でも860点をクリアしていることを目標にしていました。
大学を卒業し、親には金銭的な援助をしてもらい1年間という限られた期間での留学だったため、必ず何かを掴んでこようという想いでいっぱいでした。
私がカナダのレスブリッジ大学への留学を決めたのは、そこで教授をしていた人物と知り合いだったからです。日本の大学在学中に、私の大学とカナダのレスブリッジ大学が交換事業をしていて、毎年交換教授が来ており、私はその教授の授業を受講していました。そして、その方に「留学をしたいが、選択肢が多すぎてどのように選んでいいかわからない。ネットで調べられる情報は限られている」と相談したところ、「レスブリッジに来て、大学に通えばいいじゃないか。うちに一緒に住もう」と言ってくれたのがきっかけでした。さらに、心の大きな方で「未来のある若者からお金を取るわけにはいかない」と私に食事以外のお金を払わせずにホームステイさせてくれました(もちろん授業料は自分で払っていました)。
大学付属の語学学校からスタートしそこでの条件を満たしてから大学へ入学したため、TOEFLテストのスコアは必要ありませんでしたが、帰国後の2015年9月に受験したTOEFLテストのスコアは81点でした。
【生活】
本当に素晴らしい家族に恵まれ、楽しい日々を送ることができました。ある日、先述の教授と家でご飯を食べている際、「本当にお金も払わずにステイさせてくれて、またたくさんのことを教えてくれてありがとう。いつか恩返しがしたい」と伝えたところ、「我々に恩返しをする必要はないよ。昔、私たちのちょうど4人目の子供が生まれたころ、私は仕事を辞めて大学院に通い始めた。その頃は本当に貧しかったんだけど、周りの人々が本当に素晴らしい人たちで、子供たちの世話をしてくれたり、ご飯を一緒に食べさせてくれた。その助けもあって子どもたちは元気に育ったし、私も大学院を出て教授になることができた。私たち夫婦はそのことを本当に今でも感謝しているんだ。そして、今私たちができることは、私たちがしてもらったことを未来のある人たちにしてあげること。だから、我々に恩返しをする必要はないから、勇が職を持ち、余裕ができたとき、未来のある人々を助けてあげなさい」と言ってくれました。この言葉は一生忘れないと思います。“こんな心の大きい人になりたい”と思いました。こういう方に出会えたというだけでも留学した価値があったと思います。
また、その教授や教授の友達に英語のことを教えてもらう機会がありました。いつも教えてもらった後には“Thank you for teaching”と言っていたのですが、彼らはいつも“My pleasure”と答えてくれました。彼らは無意識だったと思いますが“Not at all”でもない“You are welcome”でもない“My pleasure”という日本語にはあまりない表現の仕方はすごく素敵な言葉だなと思っていました。
【大学】
最初の2セメスターは付属の語学学校に、最後の1セメスターは大学の学部生として学んでいました。語学学校では、Grammar、Reading、Writing、そしてCommunicationという4つの科目から成り立っていました。中でも印象的な授業はReadingとCommunicationでした。Readingでは読み方を教わるのではなく、あらかじめ渡されたものを授業までに各自で読み、授業ではそれに関するディスカッションをするというものでした。トピックは「このとき筆者は何を考えていたと思うか」「自分ならどうするか」などでした。内容も性差別、貧困や人種等に関わる倫理的な問題が多く、各国からの生徒が集まった教室でディスカッションを通して、色々な事を考える良い機会になりました。Communicationではプレゼンテーションをすることが多く、英語でのスピーチの仕方から著作権の問題などについても学ぶことができました。
また、学部生としては論理的思考を養うための授業、自分は英語の教員になることを決めていたのでESLの生徒に英語を教えるための授業、そしてカナダ人向けのWritingの授業を受講していました。カナダの学生は学校で英文法を習わないらしく、英文法やWritingにおけるルールは日本人である僕の方がよく知っているということも少なくはありませんでした。
また、授業や授業以外でも積極的にクラスメイトと会話をすることを心掛けていました。
【野球】
私は学校で英語を学ぶだけでなく、野球チームにゲストコーチとして所属し、現地の大学生や短大生に野球を教えていました。学校では留学生や移民に対する受け入れ態勢が整っていましたが、野球チームはそうではありませんでした。選手やコーチたちによって話される言葉は教科書に載っている英語や、学校や日常生活で使われる英語とは全く違いました。そして、彼らは野球に対して真剣です。言葉がわからないということに加え、彼らも留学生をどのように扱っていいかわからないようで、最初のころは居場所がなく、相手にしてもらえないこともありました。逃げたくなる日もありましたが、そこで終わってしまっては何も残りません。誰よりも先にグラウンドに出て選手の自主練習に付き合ったり、グラウンドの整備や芝刈りも率先して行いました。また、野球の細かな技術は日本の方が勝っていると感じた部分も多かったので、動きで示しながら選手に直接指導したり、ミーティングで発言するなどしました。そのような事を繰り返していくうちに、選手の方から声をかけてくるようになったり、コーチが食事に連れて行ってくれたりと関係が出来上がっていきました。最終的には選手と野球やチームについて深く語り合うなど、良い関係を作ることができたと思います。
野球指導を通して、野球や文化・人間関係について深く考え、時間をかけて毎日チャレンジしながら関係を築いていくことができました。大変な事もありましたが、あえて一人で飛び込んで挑戦し経験できたことが全て財産になっています。
英語という言語を学ぶことができたのはもちろんですが、やはりこの留学を通して多様な価値観に触れることによって、自分自身や日本について考え直すことができました。海外へ行けば、今まで自分が何も考えず当たり前にやってきたことが、当り前ではないことに気がつきます。そして、その意味を考えるようになり、それぞれの国の国民性や自分自身について考えることになります。それによって、感謝の気持ちや誇りに思う気持ちが芽生えたり、考えさせられることもありました。ですから、留学の一番の魅力と言うのは、「多様な価値観に触れることによって、自分自身を見つめなおし判断する力を養うもの」であると思います。
今後は英語の教員として英語を通して多様な価値観に触れ、自分自身について考え、判断できる生徒を育てていきたいと思っています。2015年3月、帰国目前でカナダでTOEICテストを受験し865点を記録しました。そして、帰国後教員採用試験を受験し、合格することができました。カナダでの経験を活かし、国際人を育てていける教員になりたいと思っています。
また、海外で働いたり、大学院に進学したいという気持ちもあります。そのため、TOEFLテストを受験し続け自らの英語力を磨き続けていきたいと考えています。
これから留学を考えている皆さんには是非留学をお勧めします。体験すること全てが勉強になると思います。しかし、誰でも留学をすれば何かが変わるということはありません。限られた時間を存分に満喫するために海外の友達と休日も過ごしたり、たくさんのイベントに参加していろんな価値観に触れる時間を作ったり、家でも英語でテレビを見たり英語漬けの日々を送るのか。もしくは、日本人の留学生同士でいつも一緒にいて、家ではスマホで日本のサイトを見るのか、同じ生活をしていても楽しいと思う人もいれば、つまらないと思う人もいます。異国に行って異文化に触れるのだから当然戸惑いはあると思います。しかし、それも含めて留学です。楽しんでください。このあたりの意識で成果は大きく変わってくると思います。黙っていたら、誰も助けてくれません。ただ、自分から動けば周りの人は協力してくれると思います。自分の手で何かをつかみ取るつもりで頑張ってください。