前々回の「米国留学―目的に合う大学選びとトランスファー制度の活用―」と題する記事の中で海外の大学ランキングについて少々触れました。こうしたランキングについては賛否両論があり、一つの参考にする程度に止め、基本的には自分に最も適した大学または大学院を選ぶべきというごく常識的な考え方に帰結します。とは言え、そうしたランキングを無視する事はできませんので、参考までに、よく言われている問題点を拾ってみましょう。留学を考えている読者の皆さんも、インターネットでWhat’s wrong with university rankings?と打ち込み、そこにリストされている関連記事を調べてみるとよいでしょう。
The US News and Reportによる“World’s Best Universities Top 400” は、The QS World University Rankingsのランキングの上位2000校中の上位770校のみ(なぜか2000校ではない)を独自に評価し、上位400校を表示したと述べています。Arts & Humanities, Engineering & Technology, Life Sciences & Medicine, Natural Sciences, Social Sciences & Management の4分野に分けて、次の6指標(indicators)を基にAn International Ranking of Universitiesを作成したものとしています。
theではなくanであることに注目です。一つのランキングを示したもので、これこそが正真正銘のランキングとは言っていません。100%正しいなどとは主張していないのですが、このランキングがそうした権威あるものとして世界中で参考にされていることから、ランキングを上げるために国を挙げて必死になるケースも出てきており、道義的責任は重大です。英米の反応はどうでしょうか?GoogleでWhat’s wrong with university rankings?と打ってみたところ、案の定、看過できない多くの批判が書かれていました。そうした批判のいくつかをまとめてみました。
最近、私は東南アジア某国の大学の先生の講演を聴き、驚き悲しさとともに怒りさえ覚えました。その国では、「グローバル化に備えて、まさに、こうしたランキングで自国の大学のランキングを上げる努力をしている」とのことです。そのために、留学生の奨学金や外国人教員の給与を上げて引き止める努力をしており、大学などの高等教育のみか初等・中等教育においても教育媒体語を英語にするために、いかに母語教育を犠牲にしてきたかを述べておりました。大学においては、国レベルで上記の6つの全指標の評価を上げるためにいかに「切磋琢磨」しているかを綿々と述べていました。
グローバル化をはき違えてしまった良い例です。グローバル言語である英語世界に参入することは待ったなしです。グローバリゼーションは多様性が売りになります。英語を話すことはキーになるでしょうが、母語や母語文化が培ったコンテンツを英語で発信してこそ価値があります。それを犠牲にして英米の大学の模倣をしても、何の価値もありません。学生は模倣されている大学に直接行けば事足りますから、いずれは飲み込まれてしまうでしょう。
グローバル化とは個人と個人、村と村が国という壁を越えて直接交流する事で、アジア人であればそれぞれのコンテンツを大事にしてそれに付加価値をつけて世界に訴える事なのです。国や地域社会のみか個々人がもつ独自のコンテンツが問われるのです。diversityがキー・ワードになります。日本でしかできない日本固有の素晴らしいコンテンツを培いそれを発信すべきでしょう。確かに英語で発信するのがよいでしょうが、日本語での情報交換も必要になるのです。筆者らが行っているプロジェクト発信型英語プログラムでは、日本人であろうと留学生であろうと学生独自のコンテンツ・デベロップメントを重視して英語で発信させています。それをグローバル社会は興味を持って聞いてくれるわけです。こうしたランキングを上げることに終始すると、独自のコンテンツが損なわれ、グローバル化の競争からはじかれます。グローバル社会において英語で発信することと、教育を含めた制度を英語化することとは異質なものなのです。
日本の大学は、こうしたランキング指標に捕らわれずに、日本文化の強みを再吟味して、日本独自の指標を作り、教育再編をすべきです。ノーベル賞は物理学などの基礎研究を中心にした賞で、それも大切ですが、基礎研究で分かった理論を実現するための応用研究も大切です。日本がそうした応用力に富む社会であり、長い歴史の中で培ってきた技術やノウハウを活用して開発・改善する能力をもっていることは実証されています。応用研究は基礎研究の応用にあらず、応用研究こそ基礎研究なり、というプラグマティズムの精神に立てば、応用力こそ日本の大学が立てるべき指標の一つとなりそうです。