教育の現場に居ると、ここ数年の間に留学する学生が激減している事をひしひしと感じます。1980年代後半をピークに減少傾向が始まったというのが筆者の実感です。そのピーク時には、授業の息抜きに筆者の留学体験を話そうものなら、全員が食い入るように聞き、授業後は場所を変えて話したものです。TOEFL®テスト(Test of English as a Foreign Language)の勉強方法を教え、当時一般には耳慣れなかったGRE (Graduate Record Examination)、GMAT(Graduate Management Aptitude Test)、LSAT(Law School Aptitude Test)などのテストを紹介しました。その中の多くの学生が実際にアメリカに留学し、M.A.、M.S.、M.B.A.やJ.D.などの修士号、そして、Ph.D.などの博士号を取得しました(*1)。しかし、とりわけリーマンショック以降はそうした相談が途絶えました。日本政府もそれには危機感を抱いているようですが、経済や雇用状況の悪化なのか、学生はあまり関心を示しません。
そうした状況でも、TOEFL® Web Magazineの読者の中には、アメリカに留学してみたいと思う人が多いと思います。そこで、2月と3月の春休みを利用して、アメリカのキャンパスを見て回る事を勧めます。以前にも述べましたが、夏休みを利用して、7月末から8月にかけてアメリカに行っても、向こうのキャンパスも夏期休業中で閑散としています。それに比べて、セメスター制であれ、クオーター制であれ、2月と3月は学期中で、各キャンパスは学生で溢れています。もっとも、イースター・ブレイクの1週間は授業が途切れますので注意が必要です。それ以外は、予めアポイントメントを取り、興味のある授業を覗く事も出来ますし、先生と話す事も出来るでしょう。留学をする前に、授業とキャンパス・ライフの下調べをする絶好の機会です。
アメリカのどのキャンパスに行っても、まず皆さんの目に飛び込んでくるのは、大きなリュックにコンピュータを入れて飛び回る学生たちの姿でしょう。ラウンジやキャフェテリアのあちこちでコンピュータやタブレットを広げて勉強しているのです。アメリカの大学はオンライン化がかなり進んでおり、コンピュータがなければ授業も大学生活もままなりません。テキストは電子出版のものが多く、シラバスを始め、先生からの指示そしてアポイントは全てオンライン上のコース・ツールかe-mailで行われます。キャンパスのみか、普段の生活でも予めe-mailでアポイントを取らないと、人に会えない事が多々あります。オンラインの快適さとオフラインの不便さを経験するだけでも行く価値があると思います。それに、実際に英語で書くわけですから活きた英語の勉強にもなります。
アメリカの大学は郊外型と都市型に大別できます。郊外型は小さな町に広大なキャンパスを構え、学生の多くはキャンパスかその周辺の学生街に住み、各大学特有の文化を育みながら伝統を築いています。都市型大学は都市の一隅にビルを持ち、郊外型と比べるとキャンパスの面積は狭く、キャンパスやその周辺の宿泊施設は限定的であるため、学生は都市圏のあちこちに散っていて、授業が終わるとキャンパスを去ります。コミューター・スクール(commuter schools)とも言われ、都市部にあるために働きながら大学に通える利点があります。その反面、学生同士が寝食を共にしながら味わうような密度の濃いキャンパス・ライフは限定されます。授業や課外活動が終わると三々五々家路についてしまうからです。日本の大学、特に首都圏の大学は、コミューター・スクールと言えるでしょう。
筆者は両タイプのキャンパス・ライフを体験しましたが、どちらにもそれなりのよさがあります。特に、都市型大学では、大学以外のコミュニティーとの接点が多く、筆者も社会階層、職業、年齢、人種において様々な人たちと接する事が出来ました。ヨーロッパ系アメリカ人は勿論の事、アフリカ系アメリカ人、ヒスパニック系アメリカ人、中近東系アメリカ人、アジア系アメリカ人の多くの知り合いができ、それぞれの文化と英語アクセントに慣れました。英語の多様性を直接体験できました。
郊外型大学のキャンパス・ライフもリッチです。多くの学部生はキャンパス内の寮やフラタニティー(fraternities)やソロリティー(sororities)のような一軒家を借り切った宿泊施設、そして、キャンパス周辺の学生向けのボーディング・ハウスやアパートメントなどに住み、学生時代にしか味わえない大学生活を送る事が出来ます。 東部の有名校の多くはそうした伝統を200年近くも積み上げており、大学コミュニティーとしては日本より古い伝統を保っています。世界中から学生が集まるので、世界中に卒業生(alumni)がおり、強力な卒業生会を作って入学志願者の面接をする場合もあります。こうした卒業生が寄付する資金を基金とする多くの奨学金(scholarships / fellowships)が備わっています。
冒頭で、経済や雇用状況の悪化なのか、昨今の学生はあまり関心を示さないと言いましたが、筆者がアメリカ留学を決行した1968年当時は、景気の善し悪しを云々するどころではありませんでした。当時の日本はやっと最貧国を抜け出したばかりで、国自体の外貨準備が無く、外貨持ち出しには厳しい規制が課せられていました。私費留学でしたから、行きの交通費プラス500ドルをやっと工面しての渡航でした。州立大学の授業料でさえ1500ドルの時代、しかもそれ以前に、渡航費が高額で、一旦渡航したら簡単に帰る事は出来ませんでした。この当時に私費で渡航された方々は、両親と「今生の別れ」をして渡米した人も少なくありません。筆者自身、本場のアメリカで英語学を勉強したいという熱い思いを両親につたえて決行しました。幸いにも、行ってしばらくするとTA(teaching assistant)(*2)に採用されて学資と生活費を捻出しながらも、貯金が出来るほどの余裕もでき、一時帰国し両親と再会しましたが、それは4年後の1972年でした。
それに比べると今では、まだ景気が完全に回復しているかは不明ではあるものの、アルバイトをすれば往復の旅費を貯めて気軽に行ったり来たりできます。時期によっては国内旅行よりは安いかもしれません。私たちの世代からするとうらやましいかぎりです。この春休みはぶらりアメリカ旅で、大学キャンパス巡りするのはいかがでしょう。良い時代になりました。皆さんの人生に役立つと思いますよ。
(*1)アメリカの大学の学位については前回号のFor lifelong English
(第66回 Do you stay single or double? — ダブル・ディグリー・プログラム到来か)を参照。
(*2)アメリカの大学では、大学院生がTAとして採用されて、学部の授業を教えながら学業を続ける制度
がある。有給で学部の低学年の授業を担当する事が多い。