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話題校トップによる英語教育、国際化への想い

順天堂大学 大学院医学研究科長・医学部長 新井 一先生
  • 2013.09.24
  • 新井一先生
  • 順天堂大学
    大学院医学研究科長・医学部長
順天堂は江戸時代、天保9(1838)年、学祖佐藤泰然が江戸の薬研堀に設立したオランダ医学塾に端を発し、今に繋がる日本最古の西洋医学塾です。

幕末に、攘夷・洋学排斥の動きもあり場所を江戸から現在の千葉県佐倉、当時の下総佐倉に移し、そこに全国各地より百数十名の若者を集め、西洋医学研究・教育、臨床医学実践の場となりました。その後、昭和18(1943)年に順天堂医学専門学校を開設し、昭和21(1946)年に順天堂医科大学昭和27(1952)年順天堂大学医学部医学科へと発展させました。また、昭和26(1951)年、体育学部(現在のスポーツ健康科学部)を併設し、更に昭和34(1959)年、大学院医学研究科を開設し、昭和46(1971)年、大学院体育学研究科(修士課程)を開設するなど、順天堂大学へと発展いたしました。看護師養成の歴史も古く、117年余を経ております。明治29(1896)年、看護婦講習所を開設し、准看護婦学院、医学部附属高等看護婦学校、高等看護学校、看護専門学校、医療短期大学(3年制)へと続いて参りました。このように日本の中でも非常に古い歴史を持つ医学系大学です。

そして近年では、平成12(2000)年に大学院スポーツ健康科学研究科(博士課程)を開設、平成16(2004)年には3年制の医療短期大学を順天堂第3の学部として4年制の医療看護学部として浦安に改組・開設、平成19(2007)年には医療看護学部に大学院医療看護学研究科(修士課程)を開設、平成22(2010)年に第4の学部として保健看護学部を三島に開設、そして本年、医学部に海外からの留学生、国内の医学士以外の研究者のために大学院医学研究科(修士課程)を開設しています。

順天堂は、総病床数3,199という日本最大規模の大学附属6病院群を配置して、先進医療、地域医療、救急医療、高齢者医療、精神医療、がん治療、周産期医療等の国民の医療ニーズに対応する高い専門性と総合力に秀でた医療機関を持つ人材育成に努めています。
以上のように、順天堂は4学部3研究科6附属病院からなる「健康総合大学・大学院大学」として、教育・研究・医療を通じて社会貢献を進めています。

今回は順天堂大学の医学部長の新井一先生に、「国際化」への取り組み、そして「英語教育」に関して話を伺いました。

“本当に医師・研究者になりたいと希望する人に、その道に進んでもらいたいという思いがある”

大学について教えてください

編集部:
順天堂大学が考える医術の「医」というものはどのようなものなのか、技術だけではなく「心」も入るべきなのかなど、お聞かせください。
新井先生:
医療というのは、自然科学的な側面と人文科学的な側面があります。自然科学的に言えば合理的に最先端の医療を患者さんに行うということが求められていますが、それだけではなく、患者さんが置かれている社会状況、倫理的な問題などすべて考慮した上で医療を行っていくことが求められていると思います。そういった意味で、順天堂大学の学是である「仁」すなわち「人在りて我在り。他を想いやり、 慈しむ心」は、人の存在を第一に考えた上で医療を行うという我々の姿勢を示しています。近年、医療ではEBM(Evidence-based medicine)という概念が主流となっています。これは証拠に基づいた医療を行うべきというものであり、これによって医療の均霑化や、質の担保がなされてきました。したがってEBMは非常に重要なことではありますが、一方でデータを重視するあまり、患者さんとのコミュニケーション不足になることも少なくありません。結果、相互理解が足りず、訴訟問題にまで発展することもあります。一方、EBMとは対極とも言える考え方に、NBM(Narrative-based Medicine)といって、物語に基づいた医療を行うという考え方があります。例えば、順天堂大学は6つの附属病院に約3,200床の病床があります。1日の外来の患者さんは約1万人あり、入院の患者さんも3,000人を超えています。医療の側からみると外来の患者さん1人は1万人分の1人となりますが、患者さんからすれば自分は1人分の1人です。患者さんの人生という物語に私たちが強力なインパクトを与えるということを、若い世代である学生や研修医に理解してもらいたいと思います。まさに「仁」の心で医療を行う医師や研究者を養成する訳ですから、我々の使命は大きいと思います。
編集部:
サイエンスの部分は教えやすいと思いますが、「心」の部分を教えるのは大変ではないでしょうか。
新井先生:
大変難しいです。順天堂大学でも1年生には一般教養、リベラルアーツを中心に教育が行われます。また、学生のうちからプロフェッショナリズムを涵養することが求められています。学生は「医者になりたい」という強い情熱をもって入学してきますが、実際には医療の現場を知りませんので、早い時期に病院で患者さんに接してもらう工夫をしています。例えば、老人施設で介護の手伝いをしたり、看護師さんのサポートをしてもらうなどの取組みです。2年生以降は、カリキュラムがタイトになりますが、その中でも折に触れてそういう機会を設けています。また医学部の5年生が主体になりますが、病棟実習がありここでは現場で実際の医療に参画しつつ勉強してもらう機会を作っています。このような課程を踏んで、早い時期から医師になる動機付けを行い、プロフェッショナリズムを育んでいます。

順天堂大学 大学院医学研究科長・医学部長 新井 一先生 インタビュー

編集部:
1年生から医療の現場に出すということですが、他大学と比べて特に力を入れているということはありますか。
新井先生:
患者さんの立場に立って医療を行っているという姿勢を、学生に見てもらうことはとても重要だと考えていますので、本郷にある順天堂医院だけではなく、他の5つの附属病院をローテーションしながら様々な現場で学生には勉強してもらっています。そうすることで、学生は環境の異なった病院で色々な患者さんに接することになります。そういう違いを体験することが大切だと思います。
編集部:
学生が1年生のうちから色々な環境や立場の方たちと出会うきっかけ作りをされているということですが、先生ご自身が1番の思い出に残っている患者さんや、人生を変えたかもしれない患者さんとの出会いを教えてください。
新井先生:
そうですね、私はやはり医者になってからの最初の患者さんです。脳の悪性腫瘍の患者さんでした。昔は研修医制度がなかったので、卒業後すぐに脳神経外科に所属し、患者さんの基本的な診察を担当し、また患者さんとご家族とも近しくお話をしたりしていました。ところが、その患者さんの容体が急激に悪化して亡くなってしまいました。その時に自分と話をしていた方が、1か月後に亡くなってしまったことに非常にショックを受けました。医師になったばかりでしたし、手術の執刀はできませんでしたが、「なんとか止められなかったのか」と、怒りにも似た感情を持ちました。一方で亡くなって病院からご遺体がご自宅に帰られる際、ご家族が「お世話になりました。」と頭を深く下げられたことを、今でも鮮明に覚えています。その時に「もう少し何とかできなかったのか」という思いはありましたが、自分たちが誠心誠意対応したことに対して、患者さんのご家族には感謝頂いているということはすごく印象的でした。

また、医師はその人となりが問われる職業であり、その人間性、平たく言えば患者さんとの接し方がとても重要だと思います。その点で、自分の師となる人の影響が大きいのです。私の恩師は順天堂の前理事長の石井昌三先生という方で、患者さんとの接し方について「自分の親と思って接しなさい。」「自分の兄弟と思って接しなさい。」ということを常に言われていました。私の中でそういうことが自然に身に付いたと思いますし、現在の学生にもそのような思いを共有して欲しいと望みます。

少し違う話題になりますが、順天堂大学医学部はずいぶん学費を値下げしました。実は私学の医学部の中で一番学費が安いのですが、その理由は、本当に医師・研究者になりたいと希望する人に、その道に進んでもらいたいという思いがあるからです。医学の進歩のためには、“bed from bench, bench from bed”、つまりベッドサイドからラボへという部分も必要ですが、ベッドサイドにはご家族もいれば患者さんの人生もあります。患者さんは実験や研究の対象だけの存在ではありえません。しかし一方でベッドサイドで得られたものをベンチ、つまりラボにもっていってサイエンスにして、それをまたベッドサイドにフィードバックして、という循環がなければ医学は機能しません。その意味で、医学は研究であり科学であり、同時に医学を実践する医師には豊かな人間性が求められることになりますが、そのような思いを持つ優秀な学生に、本学に入ってきてもらいたいと思います。

順天堂大学 大学院医学研究科長・医学部長 新井 一先生 インタビュー

編集部:
前理事長の「自分の親と思って接しなさい。」「兄弟と思って接しなさい。」という ことが非常に重要で、こういったことを学生に伝える環境を順天堂大学では多く 準備されているのだろうという感じがしました。そういえば、ドラマの「JIN -仁 -」(*1)は順天堂がモデルですよね。
新井先生:
はい、村上もとかさんが書かれた漫画でロケもここでしました。主人公が順天堂の2号館の屋上から落ちて江戸時代にタイムスリップするところからストーリーが始まります。
編集部:
時代的には順天堂大学の創立者である佐藤泰然の時代ですよね。
新井先生:
はい、あの漫画の時代考証をしたのが、酒井シヅという順天堂大学の医史学の特任教授です。タイムスリップとは荒唐無稽な話ですが、ここで描かれている江戸時代の医療のレベルというのは、それなりの時代考証に基づき描かれています。
編集部:
ドラマのタイトルは順天堂大学の学是である「仁」に結びついているのでしょうか。
新井先生:
漫画の段階から、順天堂大学をイメージされていたようです。それで、タイトルを「JIN -仁-」にされたと聞きました。余談になりますが、司馬遼太郎の「胡蝶の夢」という小説がありますが、主人公の松本良順は佐藤泰然の実子です。松本良順を養子に出して、自分の優秀な高弟である佐藤尚中を後継者にしました。また、その松本良順も陸軍軍医総監などを務めて、海水浴の普及や、牛乳を飲むことを推奨した方で、いわゆる公衆衛生的な視点で日本の医療を考えたということで有名です。また三代目の同主である佐藤進は、日本政府発行の第1号のパスポートを取得した人で、ドイツの医療を学びにベルリン大学に留学しました。アジアで初めて医学博士の称号をもらった人で日本に帰ってきて、非常に有名な外科医として活躍しています。すごい情熱ですよね。個人の興味もあったと思いますが、使命感を持ってドイツに行ったのだと思います。我々が行っている英語教育の導入にも通ずるものがあると思うのですが、順天堂はもともと海外に目を向ける精神があり、そういうDNAは順天堂に脈々と受け継がれています。

順天堂大学 大学院医学研究科長・医学部長 新井 一先生 インタビュー

*1 「JIN -仁-」
TBS開局60周年記念 日曜劇場として放映されたドラマ
参考:順天堂医院ニュース No.29

【参考資料】
・順天堂大学の歴史について  順天堂大学公式サイト 順天堂の歴史
・順天堂大学 医学部 第107回 医師国家試験結果 順天堂大学公式サイト 医師国家試験合格率

「第11回 順天堂大学 大学院医学研究科長・医学部長 新井一先生 インタビュー ―後編―」の掲載予定です。

順天堂大学 医学部長 新井 一先生
  • 順天堂大学 大学院医学研究科長・医学部長
    新井一(あらい はじめ)先生プロフィール
  • 1979年3月
    順天堂大学医学部 卒業
    1979年5月
    第67回医師国家試験 合格
    1984年8月
    順天堂大学医学部 脳神経外科学 助手
    1988年12月
    順天堂大学医学部 脳神経外科学 講師
    1993年8月
    順天堂大学医学部 脳神経外科学 助教授
    2002年10月
    順天堂大学医学部 脳神経外科学 教授(現在に至る)
    2005年9月
    日本脳神経外科学会 理事 (現在に至る)
    2008年4月~
    20011年3月
    順天堂大学医学部 附属順天堂医院 院長

    2008年4月
    学校法人順天堂 理事・評議員 (現在に至る)
    2011年4月
    順天堂大学大学院 医学研究科 科長・医学部長 (現在に至る)
  • 順天堂大学
  • 順天堂は、学祖佐藤泰然が、天保9(1838)年に江戸薬研堀に設立し、連綿と今に続く日本最古の西洋医学塾である。この医学部に加え、昭和26(1951)年に開設された体育学部(現在のスポーツ健康科学部)、明治29年(1896)年開設の看護婦講習所を前身とする医療看護学部、保健看護学部の4学部と6附属病院からなる。「健康総合大学・大学院大学」として教育・研究・医療を通じて社会貢献を進めている。
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