達セミに学ぶ 英語学習のヒント

全国の熱血教師による授業に学ぶ英語学習方法伝授

谷口幸夫先生
  • 東京都立小平高等学校
    英語教育・達人セミナー代表
  • 谷口幸夫先生

TOEFL® メールマガジンからTOEFL® Web Magazineにおける『達セミに学ぶ 英語学習のヒント』100回の掲載を記念し、英語教育・達人セミナー代表の谷口幸夫先生にご寄稿をいただきました。ぜひご覧ください。

達セミに学ぶ 英語学習のヒント 第100回記念特別寄稿

連載100回にあたり

改めて思うのだが、本コーナーの題名はいささか刺激的でミスリーディングである。題名は「達セミに学ぶ 英語学習のヒント~全国の熱血教師による授業に学ぶ英語学習方法伝授~」とある。残念ながら、達セミの講師陣の多くは「伝授」ではなく、「共に学ぶ」というスタンスでこれまでやってきたし、これからもそうであろう。しかも、北海道から沖縄まで全国各地にいる講師陣を一人ひとり見てみても、「熱血教師」的な熱い人はあまりいない。もちろん例外的に「熱血教師」はいるが、どちらかというと控えめで目立つことが苦手な先生方が少なくない。そんな大いに矛盾している題名で、本連載が100回も続いたとは、会の責任者として本当に驚きである。

しかも筆者が言うことではないが、バックナンバーに並ぶ執筆者は英語教育界の著名人や最先端の実践者の先生ばかりでとてもゴージャスである。そのような今をときめく先生たちが若手の頃に書いた原稿や写真を見るのも楽しみの一つである。

「英語教育・達人セミナー」の様子
▲「英語教育・達人セミナー」の様子

「英語教育・達人セミナー」について

“達セミ”とは「英語教育・達人セミナー」の愛称で、この6月4日で22周年を迎える。22年前というと、日本史の中においては、国内史上最悪のテロ事件である地下鉄サリン事件が起きた年だ。読者の皆さんにとって身近なことでお伝えすれば、好きな方も多いであろうカルビー株式会社の「じゃがりこ」が生まれた年でもある。

関係者一同は“達セミ”について「英語指導の達人になりたいなぁ」「達人に近づけるワークショップ」と、ポジティブにとらえている教員が多いと思うが、活動内容を知らない方からは「どうせ、私たちは英語の達人じゃないから関係ない」「どうせ、あの会は自分たちを達人と呼んでいる傲慢な人たちの集まりではないか」など「どうせ」が付くネガティブなイメージを持っていたり、「英語の特訓をして英語の達人になるためのセミナー」といった趣旨とは異なる誤解を持たれることも少なくない。

しかし、英語教員という職業を選び、生徒のことを少しでも想っていれば、「自分の授業をより良くしたい」「もっと分かり易い授業をしたい」という思いは必ずその人の心のどこかにあるはずだ。でも、現実はそうしたヒントを得ようとしても、東京や大阪など都会に行かないと研修する機会がほとんどなかったり、同僚からアドバイスをもらうことも難しいといった現状もあり、教員としての悩みは尽きない。また、筆者が若い頃に関わった英語教員向けの研修会は「講義」がほとんどで、いわゆる「体験型」のワークショップ形式の研修会は皆無であった。「これでは英語教育改善なんてできっこないし何も変わらない」、そのような英語教員の置かれている現状や悩み、またより良い英語教育への想いもあり、体験型のワークショップとして達セミを開催することになった。

「英語教育・達人セミナー」の様子
▲「英語教育・達人セミナー」の様子

「英語教育・達人セミナー」の成り立ちから初めてのセミナーに至るまで

1995年6月4日筑波大学附属駒場中・高等学校(以下、ツクコマ)で“達セミ”はスタートした。

当時、筆者は『NHKラジオ基礎英語2』の番組制作とテキスト執筆に関わっていた。1994年にラジオ番組大改革のマネージャーとして、各番組の講師陣の選定などに大きく関係した。

講師陣や制作側の代表は、筆者の大学時代の恩師である故・若林俊輔先生(当時:東京外国語大学名誉教授)であった。若林先生は英語教育学の専門家、いや英語教育学のプロ中のプロの先生である。筆者自身は若林先生に四六時中、様々なことを報告し連絡を取り相談しながら改革を進めていた(つもりだった)。
しかし実際は違った。故人を悪く言うつもりはないが、若林先生は、いわゆる「出たがり屋」で「目立ちたがり屋」な面をお持ちで、改革側の代表者であると同時に、ご自身も『NHKラジオ基礎英語1』の番組監修者に就任された。3人の教え子を講師に据え、手取り足取り指導しながら番組を制作することになった。
その当時、若林先生は一般財団法人語学教育研究所(以下、語研)の理事長もされており、NHK側は以前テレビの仕事を一緒にしたよしみで、若林先生に改革の代表をお願いしたのだ。その後番組がスタートしてからも、本当に色々と困難の連続であったが、ここでは全て省略させていただく。

一方、語研の方に目を転じると、若林先生が経理部長、筆者が経理部員という体制が10年ぐらい続いており、若林先生が理事長就任と同時ぐらいに、長勝彦先生(武蔵野大学客員教授)を経理部長にお迎えした。毎月の経理部会の後は、必ず飲み会があり決まってその宴席で、お酒が入ると若林先生と長先生の激論が始まることも間々あった。そんな時は二人の激論を聞いている筆者が「まあ、まあ、まあ。先生」と言って、話をはぐらかす役回りを買って出ていた。筆者はお酒がからっきし駄目だが「良き聞き手」であったと思う。

さて、話を戻そう。長勝彦先生は、筆者の大学の大先輩でもあった。当時、58歳。「長ビンゴの神」と称され、英語教員としての最高の栄誉である『パーマー賞』を受賞されていて、文字通り「授業名人」つまり「授業の達人」であったが、長先生は「名人」とか「達人」という言葉は嫌いで「俺は職人だ」と常々公言されていた。

そんなある日、若林先生が欠席の経理部会の後で、いつもは激論が始まる居酒屋で筆者は長先生を口説きにかかった。
「長先生もご退職まであと2年ですね。そこでお願いがあります。先生の引退の花道を作りたいので、ぜひ協力してください」と。具体的には「最後の2年間の、3月、6月、9月の第1土曜日にセミナーを開催し、長先生に講座を担当していただけませんでしょうか。2年間で6回分のセミナーを開くので、先生の40年近くのご経験やアイディアを、我々若い世代の教員に伝えてから、引退してください。かわいい後輩からの頼みです」と平身低頭でお願いした。

長先生は「我々の10年間の経験を1年間で伝えることができたら、若者たちはそこからスタートできる。それがうまくいったら凄いことになるよ」という趣旨のことを常日頃から力説されていたので、私の申し出に快諾してくださった。

会場は筆者の当時の勤務先であったツクコマに決定した。ツクコマに決めた理由は200名ぐらいを収容できる「多目的ホール」があり、視聴覚設備もバッチリだったからだ。日程を3月、6月、9月にしたのは、各学期に1回ずつ。3の倍数の第1土曜日に決めれば、案内をしなくて済む、という浅はかな考え。12月はクリスマス等で若者たちは忙しいはずと考え、外した。

そして迎えたセミナー当日。200名が入る会場に80名の方に集まっていただき、熱気がムンムンであった。参加費は無料。後輩が先輩の引退の花道を作ったのだからそれは当然である。北は秋田県、南は福岡県からという遠方から駆けつけてくださった先生もいらっしゃった。1番メインの講座は長先生の講座なので、中学校の先生方の参加が目立っていたが、ツクコマは中高一貫の学校であるので「高校の先生にも参加してほしい」とお願いをして、首都圏で精力的に活動している先生に講座をお願いした。

筆者と言えば、ラジオ番組が再放送で時間をもてあましていたので、「“番組『NHKラジオ基礎英語2』を作る側”と“授業で使う側”」という講座を他の2か所の賑わう会場とは別に、ひっそりと講座を担当させていただいた。文字通り、会場には2人しかいないということもあった。つまり発表者である筆者ともう一人の発表者のみだ。今から考えると、分科会が3つもあり、とても贅沢なセミナーだったなと思う。ただ初めての開催ということもあり、残念なことも多々あった。例えば、参加費が無料ということもあり多くが受付を通らず、名簿に記載してくれた参加者は約半数で教員のマナーを疑ったことも少なくない。加えてセミナーを運営するためのバックステージの人員配置を考えていなかったことも反省している。

上記のような紆余曲折がありつつも、東京以外の場所(姫路と仙台)でも開催をしたところ、参加者の一部から思わぬ反響があり「私のところでも開催してください」というリクエストが舞い込むようになった。講師の希望を聞くと「チョウ先生とカナヤ先生を希望します」との声があった。そのチョウ先生とカナヤ先生は「長(おさ)勝彦先生と金谷(かなたに)憲先生(東京学芸大学名誉教授)」のことであった。金谷先生は『NHKラジオ基礎英語2』を一緒に制作していたし、何よりも筆者が金谷先生の最初の教え子の一人であるので発表依頼は簡単であった。お二人ともに快諾をいただき、95年から97年ぐらいにかけて、西日本と東北を中心に駆け巡った。

「英語教育・達人セミナー」の様子
▲ 「英語教育・達人セミナー」の様子

最後に

「47都道府県を回ったんですか」という質問をよく受けるが、最初の9年間で47都道府県全てを回った。「灯台もと暗し」とはよく言ったもので、47番目は関東の群馬県。奇跡的に参加者ゼロは1県のみだが、最低開催人数である1名は数えきれず。でも、ツクコマ時代の自分の講座を思い出せば、何とも思わない。

初期の頃、長先生からは「先生一人の向こうには、200人、300人の生徒がいるんだよ」とよく聞かされたものだ。「参加者が10名でも、結果的には2,000人、3,000人の生徒に何らかの働きかけをしているんだよ」と言われ、なんとなく満足していたことが懐かしく思われる。

これ以降の展開は、別機会に譲りたい。150回記念、200回記念のときでも、再びお目にかかりましょう。

「英語教育・達人セミナー」の様子

 

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