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  • 鈴木佑治先生
  • 立命館大学生命科学部教授
    慶應義塾大学名誉教授

第62回 世界大学ランキングの危うさ

前々回の「米国留学―目的に合う大学選びとトランスファー制度の活用―」と題する記事の中で海外の大学ランキングについて少々触れました。こうしたランキングについては賛否両論があり、一つの参考にする程度に止め、基本的には自分に最も適した大学または大学院を選ぶべきというごく常識的な考え方に帰結します。とは言え、そうしたランキングを無視する事はできませんので、参考までに、よく言われている問題点を拾ってみましょう。留学を考えている読者の皆さんも、インターネットでWhat’s wrong with university rankings?と打ち込み、そこにリストされている関連記事を調べてみるとよいでしょう。

The US News and Reportによる“World’s Best Universities Top 400” は、The QS World University Rankingsのランキングの上位2000校中の上位770校のみ(なぜか2000校ではない)を独自に評価し、上位400校を表示したと述べています。Arts & Humanities, Engineering & Technology, Life Sciences & Medicine, Natural Sciences, Social Sciences & Management の4分野に分けて、次の6指標(indicators)を基にAn International Ranking of Universitiesを作成したものとしています。

  • Academic reputation score 40%
  • Employer reputation score 10%
  • Faculty-student ratio score 20%
  • Proportion of International students score 5%
  • Proportion of international faculty score 5 %
  • Citations pre faculty score 20% (Nature誌やScience誌などでの引用数)

theではなくanであることに注目です。一つのランキングを示したもので、これこそが正真正銘のランキングとは言っていません。100%正しいなどとは主張していないのですが、このランキングがそうした権威あるものとして世界中で参考にされていることから、ランキングを上げるために国を挙げて必死になるケースも出てきており、道義的責任は重大です。英米の反応はどうでしょうか?GoogleでWhat’s wrong with university rankings?と打ってみたところ、案の定、看過できない多くの批判が書かれていました。そうした批判のいくつかをまとめてみました。

  • 大学の相互評価(peer evaluations)という方式で一部偏見も入りやすい。academic reputationという指標などは、すこぶる主観的で数値化できるものではない。
  • 高校のカウンセラー(high school counselors)や大学の執行役員(university executives)らに他校の評価を委ねているようだが、自校の教育実情さえ満足に知り得る暇がないのに、他校の教育実情をどうして評価できるのか疑問。
  • 各指標を良くしようとするために施設や催し物が増え、教員の賃金を上げて指標を良くしたり、有名教授を呼ぶなど教員の賃金が上がり、結局高い授業料という弊害につながりやすい。(トップ・ランキングの私立校の授業料は現為替レートで400万円から500万円プラス生活費が必要、教授の平均給与は約2,000万円)
  • 多様性(Diversity)の評価を上げるために、留学生の人数が問われているが、高額の授業料を支払えるいくつかの特定の新興国の富裕層がほとんどを占め、それらの留学生はサイエンス、ビジネス系など、所得をよくするのに有用と思える専攻しかしない。liberal arts にほとんど関心を示さず、留学生を入れてdiversityを上げようという本来の目的が損なわれる逆の結果が生じている。
  • ランキング会社に賄賂のようなもの送る言語道断の大学もあり、教員・学生比率やSATなどのスコアを水増しして提出する大学がある。留学生については、彼らが得意なSATの数学(math)のスコアを報告するが、不得意な英語(verbal)のスコアを報告しないなどの操作をするケースもある。
  • 一般には、大学授業料が高騰しているために、米国人の大学生や院生が多額のローンを抱えて問題になっている。その一方で、州立大学では、in-state-tuition(平均約70万円)とout-of-state tuitions(平均約200万円)があり、米国人学生のほとんどにはin-state-tuitionsしか課せないために、米国人学生だけでは大学の経営は逼迫するので、out-of-state-tuitionsを課せる留学生を多く集めて穴埋めしようとしている。そのために海外に民間リクルート会社を派遣してなりふり構わず留学生を集めているのが現状で、そのためにランキングを上げようと必死になっている。
  • これ以外にも1年生が次年度にどれだけ残るかという歩留まり(retention ) も指標になることがあり、いわゆるグレード・インフレーションで「楽勝」授業の温床になっている。

最近、私は東南アジア某国の大学の先生の講演を聴き、驚き悲しさとともに怒りさえ覚えました。その国では、「グローバル化に備えて、まさに、こうしたランキングで自国の大学のランキングを上げる努力をしている」とのことです。そのために、留学生の奨学金や外国人教員の給与を上げて引き止める努力をしており、大学などの高等教育のみか初等・中等教育においても教育媒体語を英語にするために、いかに母語教育を犠牲にしてきたかを述べておりました。大学においては、国レベルで上記の6つの全指標の評価を上げるためにいかに「切磋琢磨」しているかを綿々と述べていました。

グローバル化をはき違えてしまった良い例です。グローバル言語である英語世界に参入することは待ったなしです。グローバリゼーションは多様性が売りになります。英語を話すことはキーになるでしょうが、母語や母語文化が培ったコンテンツを英語で発信してこそ価値があります。それを犠牲にして英米の大学の模倣をしても、何の価値もありません。学生は模倣されている大学に直接行けば事足りますから、いずれは飲み込まれてしまうでしょう。

グローバル化とは個人と個人、村と村が国という壁を越えて直接交流する事で、アジア人であればそれぞれのコンテンツを大事にしてそれに付加価値をつけて世界に訴える事なのです。国や地域社会のみか個々人がもつ独自のコンテンツが問われるのです。diversityがキー・ワードになります。日本でしかできない日本固有の素晴らしいコンテンツを培いそれを発信すべきでしょう。確かに英語で発信するのがよいでしょうが、日本語での情報交換も必要になるのです。筆者らが行っているプロジェクト発信型英語プログラムでは、日本人であろうと留学生であろうと学生独自のコンテンツ・デベロップメントを重視して英語で発信させています。それをグローバル社会は興味を持って聞いてくれるわけです。こうしたランキングを上げることに終始すると、独自のコンテンツが損なわれ、グローバル化の競争からはじかれます。グローバル社会において英語で発信することと、教育を含めた制度を英語化することとは異質なものなのです。

日本の大学は、こうしたランキング指標に捕らわれずに、日本文化の強みを再吟味して、日本独自の指標を作り、教育再編をすべきです。ノーベル賞は物理学などの基礎研究を中心にした賞で、それも大切ですが、基礎研究で分かった理論を実現するための応用研究も大切です。日本がそうした応用力に富む社会であり、長い歴史の中で培ってきた技術やノウハウを活用して開発・改善する能力をもっていることは実証されています。応用研究は基礎研究の応用にあらず、応用研究こそ基礎研究なり、というプラグマティズムの精神に立てば、応用力こそ日本の大学が立てるべき指標の一つとなりそうです。

上記は掲載時の情報です。予めご了承ください。最新情報は関連のWebページよりご確認ください。