東京電力(株)・福島第一原子力発電所事故で罹災して山形市やその周辺に自主避難した多くの家族がいます。父親は福島に残り、母子だけ山形に避難するという不便な生活が2年以上続いているのです。避難指示区域や警戒区域ではないものの放射線量が高く、子どもたちの健康への影響を案じて避難していますが、自主避難である為に国や自治体からの援助を受けることができません。お母さんたちは生計を立てるために、子どもたちを学童保育に預けて働かなければなりません。昨年の7月頃、筆者らはそんなお母さんたちが、夏休み期間中の学童保育ボランティアを探しているのを知りました。その1か月後の8月初旬の3日間、山形市のある寺院の社務所を借りて幼児を含む小学生児童ら20余名と過ごしました。子どもたちは体を思いっきり動かして遊び、その3日間の体験を英語で発表しました。その後、2013年1月初旬に再度山形市を訪れ(筆者は検査入院のため不参加)、4月初旬には立命館大学びわこくさつキャンパスに彼らを招きました。
▲ Getting together again. (Photo by a kid)
そして、去る8月7日からの3日間、筆者らは再度山形市に赴き、子どもたちと再会することができました。山形市中心部のビルのワンフロアーにある学童保育で今回3日間を子どもたちと過ごしました。地元の篤志家のビル・オーナーが学童保育用に無料で貸してくれているとのこと、前年の寺院社務所といい、互いを支え合う東北人の分厚い人情は健在です。子どもたちは何ら気兼ねなく、広いフロアーを元気に飛び回わっていました。しかし、その反面、そうしたあどけなさを見るにつけ、いまだに故郷に帰れない不条理さを強く感じざるをえませんでした。
▲ Practicing tap-dance. (Photo by a kid)
今回も、筆者らの活動をサポートするために、ボランティアの方々が参加してくれました。山形市内の高校生たちに加えて、今回はハワイから日系三世のレイさん(Raymond S. Tabata氏)が参加してくれました。いみじくも筆者と同い年の69才です。アウトドア派で写真を撮るのが大好き、National Geographic誌にも投稿写真が掲載されるほどの腕前です。ハワイ大学で大学の医療ネットワーク関係に従事されていたと伺いました。ハワイの日系社会でも東日本大震災と原発事故については大きく取り上げられているようです。筆者らが訪れる3日前より子どもたちに英語を教えていたとの事で、そこで習った自己紹介の仕方も利用し、子どもたちには3日間で体験した事を英語で発表してもらいました。
▲ Ray Tabata’s English and photo lesson. (Photo by a kid)
インターネットもコンピュータも備わっていなかったため、筆者らが大学英語プログラムで使用していた規定使用年数をこえてしまったコンピュータを持ち込んで貸与し、Wi-Fiを駆使してインターネットにつなげました。そして、ビデオカメラやデジカメで全ての活動記録を子どもたちに撮らせて編集させたところ、水を得た魚のように活き活きした映像や写真を撮り、それをコンピュータに取り込んで編集しました。さらに日本語と英語で説明文をつけ、英語で発表しました。写真の取り方はレイさんが教え、英語とコンピュータは筆者らが、高校生はコンピュータの操作の仕方を教え、司会などをして多大な貢献をしてくれました。
▲ A scene from the final presentation session. (Photo by a kid)
次回のFor lifelong English「山形市に自主避難している子どもたちとの触れ合い-後編-」は11月12日号掲載予定です。