本コラムで再三述べてきましたように、英語はグローバル社会のメガ言語です。これからグローバル社会で生きて行く若い人たちは、何かしらの形で英語を使う状況から避けられません。日本でもその傾向が強まって来ました。先日、テレビを見ているとアジアからきた外国人が日本の良さを語ると同時に、英語が通じないことに驚いていました。筆者も10月にハワイから来た日系とフィリピン系の友人から、タクシーに乗って英語が通じないことに困ったと聞きました。タクシーの運転手さんには年配の方も多く、それでも必死になって英語を話そうとされ、人柄の良さは伝わっているようです。
しかし、2人にとっての優先順位はいざ生死(life-and-death)に関わる問題が起きた時に英語が通じるかということで、どうしても通じる国々に足が向いてしまうそうです。
このような不平を言う外国人は、英語圏からきたネイティブ・スピーカーと思いきや、意外と英語圏以外の国から来たノンネイティブ・スピーカーが多いことに驚きます。彼ら自身もある程度の英語を話せなければそんな不平を言わないでしょう。よく耳にする質問は、“How come they can’t speak English?”ですから、不平というより疑問のようです。学校の主要教科の一つで、あちこちに英語が氾濫しているのに、なぜ話そうとしないのかという単純な疑問です。日本には多くの観光客が戻ってきつつある今、世界のあちこちを歩き回る彼らが吐露する感想は無視できません。
こうした外国からの旅行者は高度の英語力を求めている訳ではありません。挨拶や自己紹介や道案内程度の英語です。言語学の巨星R・ヤコブソンのいうコミュニケーションを形成する一要素の「コンタクト」(contact =触れ合い)に当たる部分で、コミュニケーションのチャンネルを開き、維持するには必要不可欠です。「お早う」、「今日は」、「今晩は」、「いい天気ですね」、「寒いですね」、「暑いですね」などの常套的な決まり文句や、お辞儀、握手、顔の表情も交えた挨拶から成ります。文化人類学の巨星B.マリノスキーは「ファティック・コミュニオン」(phatic communion)と呼び、コミュニケーションを円滑に進める「潤滑油」のようなものと言っています。機械がオイル無しでは動けないように、コミュニケーションは「コンタクト」無くして動きません。
英語では、“Good morning!” とか“Hello!” とか“How are you?”とか “Nice day!” などから始めて、初対面なら名前を告げながら自己紹介するでしょう。握手をするかどうかは個人次第ですが、それから互いの日常生活の話題になり、趣味や学業や仕事の話になるのが普通です。但し、プライバシーに触れることのないようにします。まず、こうした「コンタクト」から始めて、コミュニケーション・チャンネルを開きます。
また、「コンタクト」は、コミュニケーションを開くだけでは終わりません。相手の話に相槌(づち)を打ったり、相手が話に着いてきているかどうか確認したりしながら、コミュニケーター同士がチャンネルを維持します。日本語でも「そうなの?」、「それで?」、「本当?」、「うそー!」、「マジー!」、「ヤベー!」など様々あります。英語では、“Yes.” “No.” “OK.” “Oh, yeah?” “Oh, no!” “Really?” “Is that right?” から次の言葉を考える時の“Uh,,,,” “Well,,,,” “You know.”等など豊富です。もちろん、コミュニケーションを締める慣用句もありますね。“Nice to see you.” “See you.” “Later on.”等などです。
見れば、どれも中学校1年生の英語力で十分ですが、この簡単な英語が日本人の口から出てこないので、外国人には奇異に映るのです。英語はコミュニケーションで使うものというよりは学校で教科として習えばいいという意識が強すぎるのでしょうか。「コンタクト」ができなければコミュニケーションを始めることができません。道に迷っている外国人を見かけた時に、教えてあげたい気持ちはありながらも、どう「コンタクト」したらよいか分からずオロオロしてしまいます。 “Hi!”と切り出せば相手も“Hi!”と言ってくる筈、そしたら “Can I help you?”と言えば先につながります。でも切り出せない。使う場がない英語学習の限界です。これではいつまでたっても英語は上手くなりません。
「コンタクト」で使われる慣用表現は、使われている状況により意味が変幻します。“Yes”も抑揚によりまったく意味が変わり、極端な場合には“No.”に近い、「分かった、分かった、もう十分だ」みたいな意味になることも多々あります。それぞれの表現を様々な抑揚を付けて話すことにより、多くの意味合いを伝えることが出来ます。先ほど紹介したヤコブソンが面白い例を提供しています。ある時ニューヨークで、ヤコブソンはかつてスタニスラフスキー・モスクワーシアターの名優に会いました。その名優が同劇場の入団の際に受けたオーディションのお題は、ロシア語の「今晩は」を使い、40個のメッセージを伝えるということだったそうです。ヤコブソンはその名優にそのオーディションを再現してもらい録音してモスクワに持って行って人々に聞かせたところ、全員その名優のメッセージを聞き分けたとのことです。そうです。「コンタクト」で使われる慣用句は短い決まり文句でそれ自体単純ですが、状況により意味合いを変えることが出来るのです。「コンタクト」で使う慣用句は、使えば使う程多くの意味を醸し出してくれるのでコミュニケーションの強い味方になります。
メジャーリーグ・ベース・ボール(MLB)Toronto Blue Jaysの川崎選手は「コンタクト」の名人です。野球もさることながら「コンタクト」も上手で、ファンや他の選手に愛され、日、米、カナダの親善に大いに貢献しています。先日、ある日本のスポーツ番組に出演し、選手やファンに直接触れる為に通訳を断っていると述べていました。確かにシーズン中のベンチでは、他の選手を笑わせたりしてムードを盛り上げています。こうしてコンタクトをするうちに、MLBの有名選手が川崎選手の所に来るのが楽しみで、川崎選手自身多くの重要なことを教えてもらっているようです。そうです、コンタクトが出来ればコミュニケーションの次の段階に行けるのです。
もう一つのエピソードを述べます。筆者は1990年代初頭、当時教えていた大学でアメリカ夏季研修プログラムを立ち上げ、毎年40名の大学生を集めてアメリカに連れて行きました。その内の一人ですが、彼は英語が苦手でしたが、明るく積極的で、ホームステイのホスト・ファミリーと深い絆を築くことが出来ました。「“Yes.” “No.” “OK!”の3語を使って仲良くなりました」と言いながら、一時も離れようとしないホスト・ファミリーの少年を肩車しているこの学生の姿は印象的でした。アメリカ社会に限らず、こういう人は好かれます。その直後に好きなレゲエを聞きにジャマイカに行き、大学卒業後はかの名門Berkelee College of Musicに行ったと聞いております。40才近くになった今では英語が堪能になっていることでしょう。
かく言う筆者自身、行く先が分からない外国人を見かけたら、“Hello! Do you know where you are going?”などと話しかけるよう心掛けています。1970年代から続くアメリカの親友とは、会う時には“Hey, man, what’s going on?”そして別れる時には“Be good!”を交わします。45年前に流行った挨拶ですが、以来ずっとこれです。
英語コミュニケーション力をつけたいと思っている読者は、まず、日本を訪れる外国の旅行者と「コンタクト」をとるところから始めてみましょう。最初はぎこちなくても、慣れると各段にコミュニケーションの機会が増えます。