For Lifelong English

  • 鈴木佑治先生
  • 慶應義塾大学名誉教授

第129回 “The Five Pennies”「五つの銅貨」(1959年)

今回は映画を取り上げます。これまで数々の邦画、洋画を見てきましたが、幼少時に父親と見に行った「禁じられた遊び」(フランス映画 1952年 “Jeux interdits”)と「恐怖の報酬」(フランス映画 1953年 “Le Salaire de la peur”)などのラストシーンは鮮明に覚えています。また、大学に合格し、上京して最初に見た「五つの銅貨」(アメリカ映画 1959年 “The Five Pennies”)、それから6年後、渡米して最初に見た「卒業」(アメリカ映画 1967年 “The Graduate”)(*1)など、若かりし頃の思い出とともに蘇る映画です。

当然名画の名場面に流れる主題歌も記憶に刻まれています。筆者は2ヶ月前に所属するjazz vocal教室主催のmini-concertで“The Five Pennies”を歌いました。映画と同名の主題歌(*2)であるこの曲は、世界的に大ヒットし、ラジオでも頻繁に流され、当時高校生の筆者は大学受験勉強の合間によく耳にしました。また、アメリカ留学への憧れを喚起した曲でもありました。そんな思春期の思い出に後述する事情が重なり、この曲には特別な思いを寄せてきました。まずは曲が流れる2つのシーンを見てください。

Danny Kaye - The Five Pennies(Song)

Goodnight Sleep Tight, Lullaby in Ragtime, Five Pennies Melody

“The Five Pennies”のlyricです。

The Five Pennies
This little penny is to wish on
And make your wishes come true
This little penny is to dream on
Dream of all you can do
This little penny is a dancing penny
See how it glitters and it glows
Bright as a whistle
Light as a thistle
Quick, quick as a wink
Up on its twinkling toes
This little penny is to laugh on
To see that tears never fall
This this little penny
Is the last little penny
And the most important of all
For this penny is to love on
And where love is, heaven is there
So with just five pennies, if they're these five pennies
You'll be a millionaire
For this penny is to love on
And where love is, heaven is there
So with just five pennies, if they're these five pennies
You'll be a millionaire

“The Five Pennies”と称する Dixieland jazz bandを結成したコルネット奏者Red Nichols、そしてバンドの所属歌手でNicholsの妻Bobbieと娘のDorothyの実話に基づいています。Red NicholsをDanny Kaye、幼少時代の娘をSusan Gordon、10代の娘をTuesday Weld、妻をBarbara Bel Geddesが演じています。

第二次大戦前、New York市でRed Nicholsは “Red Nichols and the Five Pennies”と称するDixieland jazz bandを立ち上げ、成功するも家族を顧みず置き去りにします。そんなある日、雨の中で父を待っていたDorothyは小児麻痺に罹ってしまいます。それを知ったNicholsはバンドを捨て、New YorkからLos Angelesに移り、造船所で働くようになります。しばらくして、Dorothyは、ふとした事から父がバンドをやめた理由を知り父の再起の為に奮闘します。

The Five Pennies: Wikipedia

Red Nichols and the Five Pennies (1929:第二次大戦前の全盛期)

Red Nichols & the Five Pennies(1952: 第二次大戦後のリバイバル時)

ストーリーを念頭に入れてlyricを見てみましょう。まず、語句、表現、構文(*3)について簡単に解説します。キー・ワードのpenny(複数形pennies)ですが、アメリカでは1 cent銅貨の俗称です。金融、株式などの正式な場ではcentが使われます。イギリスの銅貨pennyを模した言い方ですが、イギリスではその複数形はpenceまたはpenniesで、前者は全銅貨の価値(5 pence = 5ペンスの価値)、後者は銅貨の数(5 pennies = 5枚の1ペニー銅貨)という意味です。

アメリカでもイギリスでもpennyは一番価値が少ない貨幣であることから、「取るに足らない」「つまらない」という含みで使われています。“The Five Pennies”も5つの取るに足らない銅貨という意味を含んでいます。

また、アメリカには、“Find a penny, pick it up, and all day long you'll have good luck.”「朝玄関を出て“a penny”を見つけて拾えば一日中luckyになる」という言い伝えがあります。取るに足らない5つの penniesは、5つの幸運を運び、これら5枚を持てばa millionaireのようなリッチな気分になる、そんな意味でしょう。

5つのpenniesの最初は to wish onのpennyです。1940年のDisneyアニメ映画“Pinocchio”の主題歌に“When You Wish Upon a Star”「星願いを」というのがあります。この曲のwish upon(またはon)は、熟語で「~に願いをかける」という意味で、この場合のupon(またはon)は前置詞です。このDisneyの曲は大ヒットしたので、それに引っ張られたとしたら、“The Five Pennies”のwish onも同じ意味で解釈できます。そうであるならuponの方が良さそうですが、後続のdream onと韻を踏ませるためにuponではなくonを使ったと解釈できるでしょう。

しかしながら、後続との関係を考慮すると、単なる韻合わせではない別の解釈が浮かんできます。後続のdream on, laugh on, love ononにおけるonは、Cambridge Dictionaryにあるように、

Used to show that an action or event continues.”(例Our old traditions live on.)

前置詞ではなく、出来事や動作の継続を示す副詞です。すなわち、dream onは「夢を見続ける」、laugh onは「笑い続ける」、love onは「愛し続ける」という意味です。従って、wish onは「願い続ける」という意味でしょう。このonはよく使われます(Life still goes on)、特にon and onで終わりがないほど続くことを示します(*4)(He spoke on and on.)。

次に、この歌で4回繰り返されるThis(little)penny is to-infinitive、すなわち、be + to-infinitive構文について一言。A Handbook of English Grammar Seventh Edition(1975. R. W. Zandvort. Longman)(*5)から代表的な例を拾って見ました。

We are to be married next week.(Arrangement)
I suppose I am to be home before ten?(Command)
The worst is still to come.(Destiny)

それぞれ「予定・計画」、「義務・命令」、「予想・予言・運命」を示しています。しかしどれもこの歌の意味とはやや外れます。Zandvortは、次のような熟語的な用法も挙げています。

No one was to blame.(=blameworthy/悪い)
Is this house to let?(= for hire/貸し出し用)
Accuracy is far to seek.(=lacking/欠けている)

2番目の例文(Is this house to let?)が、この歌で4回繰り返されるbe + to-infinitiveに一番近い気がします。Zandvortは、概して、be + to-infinitiveは不定詞の目的を表す副詞的用法に似ているとも述べていますが、それにも呼応します。

This little penny is to wish on.../to dream on../to laugh on../to love on.. は、この小さなペニーは願い続ける/夢を見続ける/笑い続ける/愛し続けるためのペニーと解釈できます。アメリカのハンバーガー・チェーンで、店員が“Two regular burgers are to go.”または短縮形の“Two regular burgers to go.”(レギュラーバーガー、持ち帰り!)などと言いますが、それとほぼ同じ用法です。

映画のストーリーに戻りましょう。Nichols家は経済的にも苦しみ、幼い娘さんが病気になるなど、大変な状態ですが、そうした中でも希望を失いません。お父さんは娘さんを寝付かせるとき、子守唄としてこの歌を歌い続けます。娘さんは小児麻痺で自由に踊ることはできませんが、this little pennyはテーブルの上において指で弾くと光り輝き(glitter, glow)(*6)、口笛のように明るく(bright as a whistle)、軽く (light as a thistle)(*7)、そして素早い(quick as a wink)キラキラつま先で(upon its twinkling toes)ぐるぐると踊ります。願い続ければ(wish on)、夢見続ければ(dream on)、踊れば(dance)、笑い続ければ(laugh on)、そして、愛し続ければ(love on)、きっと良いことがあるよ、そんな思いを込めて歌っています。

The Five Pennies
第129回 “The Five Pennies”「五つの銅貨」(1959年)

この映画には他に、“Lullaby in Ragtime”、“Good Night Sleep Tight”という子守唄も使われています。上記の二つ目の動画では、子役のSusan Gordonが“The Five Pennies”を、父親役のDanny Kayeが“Lullaby in Ragtime”を、Red Nocholsの友人として友情出演するLouis Armstrongが“Good Night Sleep Tight”を絡めて歌っています。これらも有名な曲です。併せて聞いてみてください。

Dany Kaye -Lullaby in Ragtime /Good Night Sleep Tight(*8)

筆者が、実際に映画“The Five Pennies”を見たのは、1962年、大学1年生の時でしたが、高校生の頃からこの主題歌をラジオで何度も聞き、以来、大好きな曲の一つです。

なんと、それから8年後に、筆者は、この映画の子役Susan Gordonさんに日本語を教えることになったとは驚きです。本コラムで何度かお話ししましたが、初めての読者のために簡単に説明します。筆者は、1969年4月よりSan Francisco近郊のHayward市にあるCalifornia State College at Hayward(後California State University at Hayward/現East Bay)に籍を置き、英文学修士課程で学ぶ傍ら外国語学科日本語科で日本語を教えることになりました。筆者25才の時でした。

第129回 “The Five Pennies”「五つの銅貨」(1959年)
(1971年Suzuki Elementary Japanese Iの履修者名簿:7番目にSusan Gordonさんの氏名)

第129回 “The Five Pennies”「五つの銅貨」(1959年)
(1971年Winter Quarter CUCS Foreign Language Dept. 担当表)

Gordonさんは1971年Winter QuarterにElementary Japanese Iを履修し、その後もIIとⅢを履修したと記憶しています。筆者自身も学生であった為に、履修者の皆さんとはあまり年齢差がなく、非常に楽しいクラスでした。後に筆者のアメリカ人の親友となるJack Wilsonはこの時の学生です。Gordonさんは落ち着いた感じで、いつも微笑み、日本語と日本文化に興味を抱く熱心な学生さんでした。あまり自分のことは話さなかったので、クラスメートも彼女が“The Five Pennies”や当時有名だった「逃亡者」(“The Fugitive” 1962)などの話題作に出演したなどとは知りませんでした。

筆者は1972年3月までHaywardに滞在し、同年4月に一時帰国し、確か、その夏に日本を訪れていたGordonさんと東京で会って会食したと記憶しています。筆者はその後にUniversity of Hawaiiに移り、1973年の夏また一時帰国し、東京で英語を教え始めた親友のJack Wilsonと婚約者のPauline Takashiba(後結婚)と再会しました。開口一番Jack Wilsonが言ったことを昨日のことのように覚えています。次のようなことを言ったと記憶しています。

Hey, do you know what! Pauline and I met Susan Gordon the other day. We happened to walk in a nearby theater to watch this film, “The Five Pennies”. The little girl in that film looked so much like Susan. So I said to her, “Susan, she looks like you.” She just said, “Cause it’s me.” I looked at her comparing her with the little girl on screen. Wow! That’s Susan alright! We found her name in the cast, too! Susan and we’ve known one another since we met in your Cal Sate Japanese classes. Gee, all this time, she has never mentioned it to us!(*9)

渋谷の名画も上映する映画館で3人は“The Five Pennies”を鑑賞したようです。それを聞いて筆者も驚きました。高校生の時から耳にし、口ずさんできた名曲、大好きなLouis Armstrong、Danny Kaye、幼いDorothyが歌う名シーン、その子役がSusan Gordon(芸名と実名は同じ)というのは知りませんでした。(*10)そう言われれば、そっくりです。それはそうでしょう、本人なのですから。

筆者は1968年から1972年までCaliforniaに滞在し、大変充実した時を過ごしましたが、一方では、将来どうなるか不安であったことも確かです。英文学で博士課程に進みたくても、当時は留学生が英文学を専攻すること自体至難の技でした。(*11)Special graduate studentとして籍を置いたもののその先は分かりません。まさに浮き草のような存在でした。そんな時、自分を励ます意味で口ずさん歌の一つが“The Five Pennies”でした。その映画の中でこの歌を歌っていたDorothyが、自分の担当した日本語のクラスに居たなど知る由もありません。

筆者はその後Washington D.C.に移り、長い留学生活を終えて1978年帰国しました。その間にSusan Gordonさんの消息も途絶えてしまいましたが、2011年のある日、当時赴任していた大学の研究室で、ひょんなことから彼女の名前が頭によぎり、ネットで消息を検索していたところ、次の記事に遭遇して絶句しました。

Rest in Peace Susan Gordon

そして、彼女の歩みを綴るサイト記事とYouTubeのスライド・ショウを見てさらに驚きました。

Susan Gordon

Susan Gordon-Slide Show of Susan Gordon's Career

サイト記事の後半に、彼女は旅行が好きで50カ国以上を訪れ、別けても日本が大好きで、大学卒業後に日本を訪れるや、13年間滞在し、そこでご主人に会ったとあります。という事は、筆者が日本で彼女と再会した1978年がその卒業直後の初来日ということになり、13年後の1985年まで日本に滞在したことになります。

筆者は、その間に、University of Hawaiiで1年、Georgetown Universityで5年、念願のPh.D.取得した1978年に帰国し、慶應義塾大学で教鞭をとるようになり7年の年月が過ぎていました。日本にいることを知っていたら、再会していろいろな話に花が咲いたことでしょう。サイトの写真にあるように、小柄で、笑顔を絶やさず、明るく、気さくな人でした。他のサイトには、難病の子供たちを救済する慈善活動をしていたとも書かれていました。“The Five Pennies”でDorothy役を演じたこととのつながりを感じます。

詩が好きで、Robert Frostの次の詩が好きであったようです。引用します(*12)

The Road Not Taken
Two roads diverged in a yellow wood,
And sorry I could not travel both
And be one traveler, long I stood
And looked down one as far as I could
To where it bent in the undergrowth;

Then took the other, as just as fair,
And having perhaps the better claim,
Because it was grassy and wanted wear;
Though as for that the passing there
Had worn them really about the same,

And both that morning equally lay
In leaves no step had trodden black.
Oh, I kept the first for another day!
Yet knowing how way leads on to way,
I doubted if I should ever come back.

I shall be telling this with a sigh
Somewhere ages and ages hence:
Two roads diverged in a wood, and I—
I took the one less traveled by,
And that has made all the difference.

(2019年3月10日記)

 

(*1)その後10年続いた対米期間中に何度も観に行き台詞をしっかり覚えてしまいました。1960年代後半の若者の英語のデータとして使えます。慶應義塾大学政策メディア研究科のプロジェクト科目「状況と意味」の教科書として執筆したThe Semantics of the English Modals: A Case of Multi-sensory, Multi-lateral Generation of Meaning in Communication (2002. N. Yuji Suzuki. Liber Press)の“Modals in Film, The Graduate”と題する章で、筆者は映画“The Graduate”から法助動詞canのセリフがあるシーンを抜き出し、状況と意味の関連を探りました。筆者個人には留学時代の思い出が詰まった映画ですが、各シーンに流れるPaul Simon とArt Garfunkelの歌とともに同年代の多くの人に青春時代を喚起させる映画であると思います。好きな映画を見て台詞が言えるようになるまで覚えるとTOEFL iBTテストにも役立ちます。Listeningや発音の訓練に薦めます。通勤、通学中にもできます。
(*2)Jazz曲の多くは映画やBroadwayなどのミュージカルの主題曲です。有名な“As Time Goes By”は“Casablanca”の主題歌です。この映画も世界中で流行り、筆者自身、曲はもちろんのこと肝心なシーンの台詞を覚えてしまいました。
(*3)この歌詞にも重要な英語構文が多く含まれています。自然に無理なく、楽しく覚えられます。しかも無料です。
(*4)関連して、「止めどもなく話す」という意味の熟語keep on(例He kept on two hours.)やkeep on ~ing(例He kept on singing.)のonもあります。
(*5)初版は1957年です。元々はオランダ人学生の為に書かれた英文法参考書(reference grammar)です。現代言語学の記述文法(descriptive grammar)でなはく伝統的な文法(traditional grammar)に近い文法書ですが、信頼性は高く簡潔でコンパクトにまとめられています。

第129回 “The Five Pennies”「五つの銅貨」(1959年)

(*6)英語でglで始まる語は(淡い)光と関する語が多いです。例、glint, glim, glimmer, glimpse, glisten, glitter, gloom, glow, etc. また、gloryも光と関係しますね。
(*7)アザミthistleは軽さに例えられます(as light as thistle)。Scotlandではこの花はOrder of Thistleという最高の勲章にも使用されているようです。
(*8)Lyric for “Lullaby in Ragtime. Lyric for “Good Night Sleep Tight”.日本では2曲とも小椋佳さんがカバーしています。小椋さんは、筆者と同じく1944年生まれですから、高校生時代にこの映画と主題歌を耳にされたのではないでしょうか。
(*9)1970年代のアメリカのテレビ局は深夜や休日に古い名画を放映していました。“The Five Pennies”も何度か放映されました。また、古い名画のみを上映する映画館もあり、小津安二郎、溝口健二、黒澤明などの作品も上映されていました。
(*10)筆者はこの映画を機にDixieland jazzが好きになり、その後、来日したClarinet奏者George Lewisの虜になってしまいました。最初にLouisiana State University at Baton Rougeを選んだのはNew Orleansが近かったからです。本コラムの第86号で筆者と同じ頃 、George Lewisに魅せられ、以来、大阪で活動しているラスカルズを紹介いたしました。ちなみに、Louis ArmstrongもGeorge Lewisと同じbandで演奏した時期があります。筆者個人にとってこの映画はこういう意味でも特別な思いを寄せる映画です。Dixieland jazzは“hot or traditional jazz”とも称されますが、本コラム前回で取り上げたMcLuhanはradio時代のjazz をhot mediumとしていますが、もし、Dixieland jazzをhot mediumとするとしたら筆者は異論を唱えます。Dixieland jazzは、戦前、戦後のradio全盛期のjazzですが、元々は当時のアフリカ系・アメリカ人のcommunication手段の一つで、Mississippi 河流域のNew Orleansなどの都会ではjazz、農村地帯ではbluesとして発達しました。かなり参加型のcool mediumではないでしょうか。関心のある読者はBlues from the Delta(William Ferris 1988 Da Capo)を読むよう薦めます。University of MississippiのBlues Archivesも一見の価値ありです。世界中の著名musiciansが訪れています。

第129回 “The Five Pennies”「五つの銅貨」(1959年)
(*11)1980年代には大分緩和されたようです。文学の世界にもglobal化が押し寄せ、古今の英文学が他の多くの文化の影響があって初めて成立していることが分かったからではないでしょうか。個別文学からglobal(village)literature、ひいては、literacyそのものが問われる中、他の表現芸術との融合を考えなければならない時代になりつつあります。筆者はCalifornia State University(前身College)在籍中に履修したフィリッピン人作家N.V.M. Gonzalez教授の授業は英文学を超えていました。1988年に出されたThe Bamboo Dancersを読んでみてください。
(*12)Frostが居たNew Englandの紅葉(実際には黄色が目立つ)の時期の森を詠んだものと思われます。俳句の世界に近いですね。Gordonさんは東部に移り住んでいたので紅葉の中でこの詩を味わえたのでしょう。ちなみに、当時のCalifornia State College at Hayward(現California State University at East Bay)のEnglish Departmentでは詩の研究が盛んでRobert Frostらの現代詩もよく読んでいました。

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