For Lifelong English

  • 鈴木佑治先生
  • 慶應義塾大学名誉教授
    Yuji Suzuki, Ph.D.
    Professor Emeritus, Keio University

第141回 アメリカ留学を振り返って-Memorable Teachers(その5)University of Hawaii TESL M.A. Program

本コラム第138回第139回の続きです。1969年のSpring Quarterから1972年Winter Quarter までのCal State Haywardでの留学生活を通し、日本の英語教育の遅れを痛感し、その改革に貢献できたらとの思いを強めました。それに、日本語を教えながら言語分析と言語教材と教授法の重要性を改めて感じていました。第138回で述べたように、Gonzalez先生が言語学を薦めてくれたこともあり、1971年の暮れに、英語分析、英語教材開発・教授法を学べるUniversity of Hawaii(UH)のTeaching English as a Second Language(TESL)M.A. programに入学願書を提出しました。

明けて1972年2月に合格通知を受取りました。3月末にWinter Quarterが終了するや4年ぶりに帰国し、年老いた両親の実家でUHの新学年が始まる8月下旬までの4ヶ月を過ごしました。Cal State Haywardで日本語を履修した者した教え子達(友人達)が三々五々訪ねて来たこともありました。あちこち案内しましたが、彼らと接した多くの人達が「英語が話せるようになりたい」と口々に漏らしていました。TESLを学び日本で英語を教えようという意欲が募りました。(*1)

1972年8月中旬、Hawaii州Oahu島Honoluluに到着しました。1968年3月、この地に降りて入国手続きをして以来2度目のHonoluluです。なま暖かいそよ風の中タクシーに乗り、第139回に登場した親友Jackのフィアンセ、Paulineの姉、Honolulu在住のMaxineが探してくれたMoiliili Dormitory(Moiliili本願寺直轄)(*2)に直行しました。University of Hawaii(UH)Manoaキャンパスに歩いて10分程度の男子寮で、Hawaii在住の日系3世の大学生と日本人留学生が住み、朝夕食事込みの寮費は格安でとても助かりました。

第141回 アメリカ留学を振り返って-Memorable Teachers(その5)University of Hawaii TESL M.A. Program

当時のUHの大学院留学生の年間授業料は、有名私大の平均$10,000(*3)に比べるとかなり格安で、約$200位でした。実は、UHに決めた最大の理由はこの格安の授業料でした。それでも生活費を合わせると年間$2,000になり、当時の日本の新卒給与所得は632,400円($1=¥360で$1,757)であったことを考えると大変な額です。Cal State HaywardとMerritt Collegeで日本語を教えて積み上げた貯蓄で賄えたものの、その後どこかでPh.D. programを続けることになると足りる額ではありません。

UHのTeaching English as a Second Language(TESL)M.A. Program(*4)は、学科長(Chair, Department of English as a Second Language, UH, 1972-1975)のRuth Crymes先生を筆頭に、アジアと太平洋地域で英語を教えるスペシャリストの育成に力を入れていました。アジア・太平洋圏で英語を教えた経歴を持つ人、または、これから持とうとする人が多かったのはその為でしょう。
Programは、Master's Plan A(thesis)、 Master's Plan B(non-thesis)、Plan Cがありましたが、ほぼ全員がPlan Bを選択し、Plan Cに該当する人は稀で、Plan Aを選択する人はいなかったようです。1971年に筆者が応募した際に入手した“The Master of Arts Program in Teaching English as a Second Language, Department of English as a Second language, University of Hawaii(Revised 1971)”には、Plan Aについての記載はありません。以下はその概要です。

M.A. Program in TESL(1972-1973)

(1)TESLにおいてアメリカ合衆国で最古、最大規模のプログラムの一つである。
(2)アジアと太平洋での英語教育に重点を置いているのが特徴である。
(3)他の地域での英語教育に関心を持つ者の応募は大歓迎であるが、上記(2)を念頭に入れて応募されたい。
(4)UHのThe Graduate Divisionと本科が課すrequirementsを満たすアメリカ人および外国人に入学を許可する。
(5)ProgramにはPlan BとPlan Cがある。

Plan B
Plan Bは、修士論文無し、30 unitsのプログラム、通常(normally)、3つのsemesters、または、2つのsemestersとsummer schoolで修了。Area Ⅰ、Area Ⅱ、Area Ⅲで構成されている。各授業は3 unitsである。

Area Ⅰ: Practicum(Methods and Materials - 9 units required)

(Required courses)
ESL 610 Teaching English as a Second Language
ESL 710 Material Selection and Adaptation / ESL 711 New Material Development
ESL 730 Seminar in Teaching English as a Second Language(3 units)

(Elective courses)
ESL 425 Linguistics and Reading
ESL 613 Experimentation in Language Acquisition and Modification
ESL 640 Contrastive Analysis and Linguistic Universal
ESL 720 Directed Research

Area Ⅱ English Language and Linguistics(Phonology, Grammar and Linguistic Theory -6 units required)
(Required courses)
ESL 450 English Syntax
ESL 460 English Phonology

(Electives)
ESL 360 The English Language in Hawaii

Area Ⅲ Language Acquisition(Psychology and Social Factors in a Second Language Acquisition - 6 units required)
(Required courses)
ESL 650 Survey of Psycholinguistics with Reference to 2nd Language Acquisition
ESL 660 Introduction Socio- & Ethno-linguistics with reference to 2nd Language Acquisition or ESL 670 Comparison of 1st and 2nd Language Acquisition

Language Requirements
留学生はTOEFL®テスト(TOEFL® PBT)550以上のスコアが必要。達していない場合は、English Language Instituteのfulltime English Intensive Courseを履修するよう勧める。TESLコースでは留学生もアメリカ人学生も同等に競う。英語を母語とする学生は、大学レベルの2アジア語または太平洋諸島の言語の授業をsemesters分履修すること。但し、2年以上アジア、太平洋地域に滞在している場合は免除される。

Examinations
1)The General Examination: 2nd Semesterの初めに、1st Semesterの授業内容に関する30分程度のオーラル試験(口頭諮問)。
2)The Comprehensive Examination:Area ⅡとArea Ⅲに関する筆記試験。

Plan C
5年以上のfull-time TESL教歴、TESL教材開発、2年以上のTESL administration歴を持ち、GRE(Graduate Record Examination)でhigh scoreを取った、成績優秀な英語母語話者に限る。

UHはsemester制度で、8月末に新学年度のFall Semesterが始まり、全員がPlan Bを選択しました。毎semester最大4 courses計12 unitsが取れるので、Fall Semesterにrequired coursesを4つ、Spring Semesterにrequired courses3つとoralおよびthe comprehensive examinationを受けて合格し、Summer Schoolで残りのelective coursesを取れば修了できるプランです。手持ちの資金が限られていたので、このプランで頑張ることにしました。

そんな折、その出鼻を挫きかねない事態が勃発しました。筆者は、数ヶ月前にUH大学院(Graduate Division)にTESL M.A. programの応募をした際、アメリカの大学に4年近く在籍していたことから、アメリカ人応募者と同じ手続きで応募しました。大きな違いは、TOEFLテストの代わりにGRE(Graduate Record Examination)のスコアを提出することでした。要は、筆者の英語力はアメリカ人学生と同等と認められたからです。(*6)

アメリカの大学、大学院はアメリカ人学生と留学生を分けずに授業を取らせますが、留学生が授業についていくのがいかに難しいか、これまでに述べてきた通りです。TOEFLテスト600点(約80%)以上のスコアをとっても授業についていけるかどうかは至難の技です。UHでも、新着留学生は、先ず、ESL管轄のEnglish Language Instituteで留学生用英語コースを受けるのが常でした。同じ留学生ビザ(F-1ビザ)を持つ筆者のところにも、英語力を測定するテストを受けるようにとの通知が送られてきました。担当部署が筆者の事情を知らずに送ってきたものと思われます。

筆者は既にCal State Haywardでのnon-objective graduate studentとして、English major coursesを幾つも受け履修し好成績を収め、しかも、その内の幾つかのコースが、TESLのelectiveクラスの単位としてtransfer(認定)されたのです。それをもって、筆者の英語力がTESLの授業についていけることは十二分に証明されており、ELIのコースが必要でないことは明らかです。履修させられたら、semesterごとの履修授業数が減り、時間も費用も嵩みます。とは言え、通知をもらって黙っているとそのまま受けることになってしまいます。

アメリカの大学や大学院では学生がよく移籍しますが、その度にこうした事態は頻繁に生じます。そんな時にはアカデミック・アドバイザーに相談するのが一番です。アメリカの大学や大学院ではアカデミック・アドバイザーの制度があり、履修をはじめ学習上の問題のアドバイスをしてくれます。筆者は、問題の通知を持ち、指定されたアカデミック・アドバイサーのTed Plaister先生のオフィスに直行しました。Plaister先生はE LIのDirectorで、著書からも分かるようにTESLにおいては習熟度のエキスパートです。先生は筆者のCal State Haywardでの成績書や志望書などを収めたファイルを見るや、“You don't need any ELI courses. That's a mistake. Who's sent that?”と言い、該当フォームに、“The ELI assignment(s)for Nathanael Suzuki are (x)Exempt.”の”Exempt”にチェック・マークを入れてサインしました。

その問題が解決したので引き続き、TESL programで取る授業について相談し、 UH Graduate Division発行のStudent Progress Formに書いて提出しました。 手元にその控えが残っており、1972年8月28日付けで、“ESL 450, 460, 610, 650, 660 or 670, 710 or 711, 730”を履修することが、Plaister先生のサイン付きで記録されています。この時点で、Cal State Haywardで履修した授業の幾つかがtransferできて卒業単位に認定されていたようで、これら7つのcoursesを履修すれば良いことになりました。Cal State Haywardの授業が無駄にならず本当に良かったです。

第141回 アメリカ留学を振り返って-Memorable Teachers(その5)University of Hawaii TESL M.A. Program

筆者はこれを機に、在籍したAcademic Year 1972−1973のFall SemesterとSpring Semesterに、Plaister先生によく相談しに行きました。最高のアドバイザーでした。先生は、ESL 610を担当されるはずでしたが、この学年度は授業を持たれておらず、他の先生が担当しました。長年プログラム開発・運営に携わり確固とした実績を持つPlaister先生の授業を是非とも履修したかったので、とても残念に思いました。

8月末にFall Semesterがスタートし、ESL 450、ESL 460、ESL 610、ESL 710を履修することになりました。各クラス15名程度で、留学生は筆者を含めて3名で、筆者以外には、中国系のシンガポール人の女性と日本から来た現役の高校教員の男性でした。

UHは、HonoluluのManoa地区にあります。前方には徒歩20分の距離にWaikikiなどの浜辺、その横にダイヤモンドヘッド、後方には山並みを控え、風光明媚なキャンパス・タウンです。 Waikikiの上空は青空が広がっていても、薄雲で覆われて霧雨が舞い、七色の虹が掛かります。Waikikiの喧騒とはうって変わり、閑静で落ち着いた場所で、勉強するのにはうってつけのところです。学期が始まるや、筆者はSinclair Libraryに入り浸りました。

第141回 アメリカ留学を振り返って-Memorable Teachers(その5)University of Hawaii TESL M.A. Program

ある日、背後から“Hey! Yuji!”と呼ぶ声が聞こえてきました。振り返ってみると、Cal State HaywardのAsian Cultural Centerに出入りしていたChinese American 3世の学生でした。聞けば、political scienceのM.A. programを始めたらしく、以来、UHにいる間はLibraryでほぼ毎日顔を合わせ、コーヒー・ブレイクには政治談義に花を咲かせました。筆者は、San Francisco Bay Areaに残した親友たちを思い浮かべては少々ホームシックになっていたので、この出会いは救いになりました。(*10)

授業が始まり、上記の概要にあるArea Ⅱ English Language and Linguisticsの2科目、 ESL 450(English Syntax)とESL 460(English Phonology)に興味を持ちました。特にESL 450はその後の進路を決定づけるものでした。担当はUniversity of PennsylvaniaでPh.D.を取得した30代半ばの R. L. Whitman先生、履修者は筆者を除き全員がアメリカ人で、中には長く英語を教えた経験を持つ50代の男性と女性がいました。

この頃のEnglish syntaxは、Noam Chomskyのtransformational-generative grammar (TG)抜きには語れず、(*11)授業はTESLの分野にTGを如何に関連づけて応用するかに主眼を置いていました。当時のESL教材や教授法は、アメリカ構造主義言語学(structuralism)基盤のものが多く、TG基盤のものは皆無でした。Whitman先生は、構造主義言語学さえも初めて聞くTESLの学生に、非常に複雑なTGを教え、それをどう応用するかを考えさせなければなりません。

微に入り細に入り説明する時間はないので、Chomskyの著書を初心者用に書き直し、基本中の基本に絞り、根気よく丁寧に解説してくれました。理解するには英文法の基礎知識を要し、無い人はかなり苦労していたようです。筆者の場合は、高校時代に読んだ山崎貞著『新自修英文典』と『新々英文解釈研究』の知識が役立ちよく理解できました。(*12)同時に、Cal State Haywardで設置されていたTGの授業を取り損ねたことを大いに悔やんだものです。

第141回 アメリカ留学を振り返って-Memorable Teachers(その5)University of Hawaii TESL M.A. Program

ESL 460(English Phonology)は、言語の音(sounds)に関するTG理論を紹介してくれました。担当は、University of MichiganでPh.D.を取得した30代のRobert Krohn先生で、Noam ChomskyとMorris Halleが1968年出版のThe Sound Pattern of English(Harper & Row Publisher)で著したTG理論による先端的音韻論の研究者です。

Phonology(音韻論)は、物理的な言語音声(phones)から音韻(phonemes)そしてそれを司る音のルールの体系(pattern)を抽出するといった極度に抽象的な領域です。通常の言語学プログラムではphonetics(音声学)を学んでからでないと難しい訳ですが、TESL programではその余裕がありません。また、Whitman先生のsyntaxもそうですが、TG理論を学ぶ前に構造主義言語理論を学ばないと分かりません。当然、苛立つ人と何とか食らいつこうとする人に分かれます。

先生は、TESLの授業であることを念頭に、TESLの教材開発、教授法に必要と思える程度に留めていましたが、この分野の研究に興味を持った筆者らには、phonology関係の先端的な論文を紹介してくれました。そのうちの一つが、先生の共同研究仲間のCharles Kreidler先生のTG音韻論とorthographyに関する論文で、後述するように、Kreidler先生が教鞭を執るGeorgetownに行こうと決める要因の一つになりました。(*13)

Krohn先生が学んだUniversity of Michiganの言語学科は、1950年代にTOEFLテストの前身であるMichigan Testを開発しました。特に、構造主義言語学全盛期にはCharles C. FriesやRobert Ladoなどがおり、多くのESL教材を出版していました。その集大成がEnglish Sentence Patterns(1958, The University of Michigan)であり、Krohn先生がTG理論に基づいて書き直したのがEnglish Sentence Structure(1961, Robert Krohn, The University of Michigan)でした。言語理論が変わると、教材の内容がこうも変わるかと思わせるもので、UHのELI用テキストとしても使われていたようです。 

第141回 アメリカ留学を振り返って-Memorable Teachers(その5)University of Hawaii TESL M.A. Program

筆者の後の進路に強烈な影響を与えたもう一つの授業はESL 650(Psycholinguistics)です。担当のDanny Steinberg先生は、40代後半の男性でした。1973年Spring Semesterに履修し、同じsemesterに受けることにした上記概要にあるThe Comprehensive Examinationの主要科目の一つでもあったことから力を入れて取り組みました。先生は、Semantics, An Interdisciplinary Reader in Philosophy, Linguistics and Psychology(1971. Edited by D. Steinberg and L. A. Jakobovites, Cambridge University Press)という、哲学、言語学、心理学の領域を包括する意味論(semantics)の必読書の編集をされていました。

第141回 アメリカ留学を振り返って-Memorable Teachers(その5)University of Hawaii TESL M.A. Program

授業は、 [1] Language and Knowledge(Rationalist foundations, Empiricist foundations, Behaviorist foundations)[2] Learning Theory(Behaviorists, Cognitivists-Gestalt)[3] Competence and Performance [4] Language Developmentの4部で構成されていました。Noam Chomsky(1970. John Lyons. Viking Press)と学術記事(articles)22件を読み、各部のテーマにつ1 paper、合計4 papersが課され、それにより最終成績がつけられました。

第141回 アメリカ留学を振り返って-Memorable Teachers(その5)University of Hawaii TESL M.A. Program

言語習得に関し、(a)Descartesの合理主義(rationalism)、(b)Lockeの経験主義(empiricism)、(c)行動主義(behaviorism)の3つの考え方の違いを学びました。具体的には、(a)Descartesの合理主義を基盤にするChomskyのTG理論、(b)を支持するH. Putnamのgeneral intelligence、(c)を支持するPavlov やSkinnerらの行動主義学習理論で交わされた論争に焦点が当てられました。

ヒト特有に側頭部に備わった生得的(innate)言語能力(language acquisition device LAD)で言語を自然習得するというChomskyの考え方に対し、ヒトの知能により体験的に習得するものとするPutnamや、はたまた、ヒトは刺激と反応により学習するというWatson、Pavlov、Skinner、加えて、物事の部分的要素ではなく全体の構造で捉えるゲシュタルト(gestalt)心理学のTolmanの考え方などを学びました。Computer science やAI(人工知能)と連動して隆盛したcognitive scienceにも関連する重要文献です。

議論が母語習得、即ち、第一言語習得に関するもので、第二言語または外国語の習得に繋がる例に欠けます。先生は、1~4部に至る全ての部で、それぞれのテーマを第二言語、または、外国語学習に結びつけることを忘れませんでした。先生と筆者ら学生達は結構激しい議論をぶつけ合いました。前期Fall Semesterで学んだTG理論のsyntax とphonologyの心理・哲学的背景が分かり、言語学への興味が益々高まったものです。

また、カナダのMcGill UniversityでPh.D.を取得した40才代男性のE. A. Afendras先生が担当したESL 660(Socio- & Ethno-linguistics)は、ESL 730(Seminar)におけるプロジェクトのframeworkを提供してくれました。
Functions of Language in the Classroom(1972. D. Hymes, et al. Teachers College Press)、The Sociology of Language(1972. Newbury House)、Reading in the Sociology of Language(1968. J. Fishman. Mouton)、Language in Culture and Society(1964. D. Hymes. Harper & Row) などの社会言語学における必読書を読み、 monolingual、bilingual、multilingual社会の言語について学びました。先生自身、英語とフランス語のバイリンガルで、カナダのQuebec州での英語とフランス語の社会的状況についての話も貴重でした。フランス語から英語に、英語からフランス語に切り替える(code switching)時の社会的、心理的状況をリアルに話してくれました。

第141回 アメリカ留学を振り返って-Memorable Teachers(その5)University of Hawaii TESL M.A. Program

筆者がCal State Haywardで日本語を教えた日系3世を通して知った日系社会の言語事情を話すと、Afendras先生は、Honoluluの日系社会の言語実態調査をしたらどうかと勧めてくれました。それを受け、ESL 730(Seminar)では、“Japanese Language Phenomena in Honolulu: A Socio-linguistic Case Study ”と称するプロジェクトを行い、long-term paperに纏めました。(*14)また、キャンパス近くにある日系キリスト教会の細見牧師夫妻をはじめ約30名の日系1世の方々とも親しくなりました。沖縄から北海道までの日本各地の方言に標準語がブレンドして出来た上がった日本語の響きはとてもまろやかでとても印象的(impressionistic )でした。(*16)これら2つの授業を通して言語社会の多様性にも目を向けるようになり、GeorgetownのPh.D. programに関心を向けるもう一つの理由になりました。

勿論、Area I Practicum(Method and Materials)も充実していました。特にESL 710 (Material Selection and Adaptation)では小学校、中学校、高等学校、大学、成人用の様々な英語教材の評価と選択、そして、補助教材の作成の仕方を学びました。担当のKenneth Jackson先生は長年の英語教員としての体験を基に、あたかも教材編集会議のような活気ある授業を展開していました。
ESL 610(Teaching English as a Second Language)は、本来ならPlaister先生かCrymes先生が担当されるものと思っていましたが、両先生ともこの学年度には担当されていませんでした。とてもとても残念です。

TESL DepartmentのChairの任にあったCrymes先生は、40代の女性で、TESL分野では著名な研究者です。休日以外はChairのオフィスで筆者ら学生の相談に気さくに乗ってくれ、笑顔を絶やさず、学生と教員間のコミュニケーションの活性化に尽力した先生でした。昼休みを利用したdoggie bag meetingの開催はその一つで、学生と教員がランチを持ち寄り、TESL関連のテーマを出し合って気軽に意見交換をしました。学生と教員の間にある壁を取り払う効果があり、授業におけるdiscussionの活発化に大きく貢献したと思います。先生は温厚な人柄でしたが、学生の非礼な言動を看過せずに諭し、誰にも公平に接していた姿が思い出されます。

筆者が最後に先生とお話しできたのはUHを去り5年後の1978年でした。GeorgetownでPh.D.を取得して日本の大学で教え始めた最初の夏休みを利用し、UHに立ち寄った時です。新学年度の準備で忙しい中、時間を割いて筆者を喜んで迎えてくださいました。残念ながら、それが先生と話す最後となってしまいました。1979年の10月に学術学会出席でメキシコに行く途中飛行機事故で帰らぬ人になられたからです。

Ruth Crymes Memorial Grant

1973年Spring Semesterの終盤に掛かり、筆者は、他の同期生と共にThe Comprehensive Examinationを受験しました。無事パスし、履修科目も修了してM.A. in TESL programを取得しました。Spring Semester中頃には、入学願書を提出していたGeorgetown UniversityのPh.D. program in linguistics より、UHのTESL programを修了することを条件に合格通知が来ていました。(*17)幸いにもその条件を満たすことができたことになります。推薦状はPlaister先生、Whitman先生、Krohn先生に書いていただきました。言語理論、英語学、社会言語学、言語心理学、それに、言語教育がバランスよく勉強できるプログラムとしてGeorgetown のPh.D. program in linguisticsを推薦してくださいました。UHのTESL programは現在ではApplied Linguistics programに改名し、M.A. に加え、Ph.D. programも設置されたと聞いております。

第141回 アメリカ留学を振り返って-Memorable Teachers(その5)University of Hawaii TESL M.A. Program

(2020年3月25日記)

(*1)TESLのプログラムを始めるに当たり役立つ情報と考えて注視しました。殆どが筆者の日本語のクラスを履修したアメリカ人で、日本人の多くが最低6年も英語を勉強しながら、英語で簡単な会話ができないことに驚いていました。彼らは1、2年日本語を学んだだけなのに日本語で会話ができましたから。
(*2)本願寺直轄でしたが、仏教徒であるなしに関係なく入居できました。住所は1020 Isenberg Street, Honoluluでした。通りの向かい側には Moiliili Neighborhood Parkがありました。
(*3)“Yearly Tuition” in “The Supersizing of American Colleges”を参照してください。
(*4)現在は、TESLではなくApplied Linguisticsに名称を変えていると聞いています。TESLはM.A. programのみでPh.D. programはありませんでした。
(*5)後述するとおり、このelectives に当たるコースの単位は、Cal State Haywardで履修した幾つかの授業をtransferでき、相殺されました。Staniforth先生、Rumberg先生、Gonzales先生の授業が対象となったと記憶しています。
(*6)ちなみに、筆者が最後に受けたTOEFLテストでは600点以上を超えていました。
(*7)Plaister先生は、How Denny Learned EnglishなどTESL関連の著書、教科書多数を出版していました。TESL分野では大ベテランの教授でした。
(*8)以前にも述べましたが、筆者のアメリカの大学での登録名はNathanael Yuji Suzukiです。
(*9)アカデミック・アドバイザーの手元に、担当する学生の学歴、成績、志願理由、GREなど各種指定テストのスコアがあります。留学生と話しながら英語力もチェックしていると思います。
(*10)筆者はアメリカ留学中に5つの場所を転々としましたが、移るたびに最初の1週間は大変なホームシックに襲われました。Hawaiiでもその後のWashington D.C.でもSan Francisco Bay Areaに帰りたいとの思いでホームシックになりました。授業が始まってクラスメートとの交流が増えると次第に消えて行きました。
(*11)Noam Chomsky 言語学および政治学の両分野で活躍しています。言語学においてSyntactic Structure(1957)Aspects of the Theory of Syntax(1965)は必読書です。
(*12)山崎貞も Otto JespersenのA Modern English Grammar on Historical Principles(1909-1949)の影響を受けていると思います。Chomskyを理解する上で、Jespersenの著書は必須です。
(*13)Charles Kreidler先生のPhonologyという授業で、Chomsky and HalleのThe Sound Pattern of EnglishをテキストにTG音韻論を学びました。Phoneticsの授業がprerequisiteになっていましたが、難解で、そうした基礎知識があっても理解出来ず、苛立つ受講者が多く見られました。
(*14)Miho Steinberg先生が読み、コメントしてくれました。Elective course のESL 310(The Language in Hawaii)が設置されており、UH全体にHawaii州で話される諸言語への関心の高さがありました。ESL 310は履修しませんでしたが、筆者のプロジェクトはこの授業のテーマと関連します。
(*15)音声学(phonetics)の分野にimpressionistic phoneticsがあり、ヒトの鼓膜で受信された音が知覚されるまでの音質効果を対象にします。Hawaiiの1世の日本語の詩的な響きはimpressionistic phoneticsで分析する価値あったと感じました。
(*16)2世、3世の多くは仲間同士ではpidgin英語で話していましたが、Mainlandから来た人にはStandard Englishに切り替えて話していました(code switching)。1世の多くは60歳以上で日本語のモノリンガルでした。あれから50年現在のHawaii日系社会は、高齢層の3世を筆頭に、4世、5世、6世の時代になっていると思います。ちなみに、筆者がいた頃のHawaii州におけるmajorityは日系アメリカ人で、ダニエル井上(上院議員)など2世が活躍していました。
(*17)文言からUH TESL M.A. programでの全履修科目平均がAで修了するよう暗に求めているのを感じました。

上記は掲載時の情報です。予めご了承ください。最新情報は関連のWebページよりご確認ください。