1967年にリリースされたLouis Armstrong(1901-1971)の“What a Wonderful World”は、今、人々に何を語りかけているでしょうか。先ずは、この名曲を聴きながら歌詞に目を通してください。
I see trees of green, red roses too
I see them bloom for me and you
And I think to myself what a wonderful world
I see skies of blue and clouds of white
The bright blessed day, the dark sacred night
And I think to myself what a wonderful world
The colors of the rainbow so pretty in the sky
Are also on the faces of people going by
I see friends shaking hands saying how do you do
They're really saying I love you
I hear babies crying, I watch them grow
They'll learn much more than I'll never know
And I think to myself what a wonderful world
Yes I think to myself what a wonderful world
日本でも馴染みの曲です。Satchmoの愛称で親しまれたLouis Armstrong(以下Satchmo)の生涯については、“Louis Armstrong-Songs, House & Facts-Biography”に詳しく書いてあります。Satchmoの歴史の功績を語らずしてjazzは語れません。筆者も含めて彼のトランペット独奏に魅せられた人は沢山います。歴代10 Best Playersの一人であり、草分け的存在と言ってよいでしょう。(*1)“Louis Armstrong—Satchmo at his Best—Legends in Concert”を聴いてください。(*2)
筆者は2007年にjazz vocalを習い始め、1回40分レッスンを月2回というペースで多くの曲を覚えました。その中の一つが“What a Wonderful World”です。カラオケと違って歌詞を見ることはできないので覚えなければなりません。ただ闇雲に覚えても、歌詞が伝える情景が浮かんで来ないと、歌っている途中で文言がすっ飛んでしまいます。初めての曲はもちろん、この曲の様に知っている曲においても、文言をしっかり分析し、理解しなければ情景は浮かびません。でも分析してみると、どの曲も奥が深く楽しくなります。平易で分かり易いこの曲の歌詞もあれこれ調べてみると、深いメッセージが隠されています。以下、筆者の分析、解釈、感想などを脳裏に浮かんだまま述べたいと思います。
先ず、歌詞の殆どの文が一人称単数形代名詞(the first person pronoun)の“I”で始まります。“I see…”/“I hear…” /“I think to myself…”/“I watch…”などです。“Jazzの歌詞においてはあまり珍しいことではありませんが、特にこの曲は、夏目漱石の『我輩は猫である』や『こころ』が代表する一人称小説や多くの抒情詩のように、作者自身の内面に浮かんだものをそのまま語っているという印象を与えます。(*3)サビ(hook)の部分の“I think to myself…”(心の中で思う)は、まさにそういう意味ですが、「我と来て遊べや親のない雀」を詠んだ小林一茶を想起させ、俳句の世界に近いものを感じさせます。
歌詞は全部で4つの節(stanza)で構成され、Stanza 1からStanza 3までは、“I see…”で始まる視覚(visual sense)の世界で、Stanza 4は“I hear…”で始まる聴覚(auditory sense)で世界です。ご存知のように、“see”と“hear”は、無意志の知覚(involuntary perception)に関する知覚動詞(verb of inert perception)です。(*4)視覚器官の目と聴覚器官の耳は、受容(perception)器官で、視覚情報と聴覚情報を自動的に受容し、自ずと見たり、聞いたりします。従って、Stanza 1~4では、眼に映るもの、耳に響くものを、見・聞きするまま描写していることを伝えようとしています。(*5)意志や思惑を挟まない、見て、聞いて感じたままの世界です。それに呼応するかの様に、サビ(hook)の“I think to myself…”(こころの中で思う)の“think”は、認知動詞(verb of inert cognition)で、知覚動詞と同じく受動的です。勿論、“think”には“Think it over again!”のように、他動詞以てして意志動詞としての用法もありますが、ここでは無意志動詞で、自ずと心に浮かんだままという意味です。
また、これら動詞の時制は単純現在時制(the simple present tense)です。単純現在時制形は、こうした無意志で受動的な動詞、即ち、心理的状態を表す動詞(state verbs)に伴うとその状態が時間的制約を破り無限に続くことを意味します(unrestrictive present)。(*6)この曲の歌詞が謳っている、見るもの、聞くもの、思うものは永遠に続くというニュアンスを非常に効果的に与えています。英国ロマン派詩人John Keatsが、古代ギリシャ時代の古壺に刻まれた宴のシーンを見ながら詠んだ“Ode on a Grecian Urn”という詩があります。壺に掘られた男女の宴は永遠に続くであろうと謳っています。その詩でも動詞はみな現在時制形です。この曲の歌詞に描かれた世界も同じ様に、そのまま永遠に続くであろう、と解釈しました。(*7)
Stanza 1、2、3は、森羅万象が放つ様々な色彩(colors)について触れています。Stanza 1では、緑色の木々(trees of green)と赤いバラ(red roses)など、地上の草木が放つ多彩さに視点を注ぎます。Stanza 2では、青い空(skies of blue)、白い雲(clouds of white)、そして、明るい昼間(the white blessed day)と暗い夜(the dark sacred night)を演出する天空に視点を注ぎます。多くのものが色とりどりに映えるこの世界は何と素晴らしいことか、この世界が素晴らしいのは森羅万象が明、暗、色が多様であるからと謳います。(*8)
Stanza 3では、その空には非常にカラフルで美しい虹が掛かり(the colors of the rainbow so pretty in the sky)、その下では、それらの色を顔に映しながら行き交う人々が握手をしながら、“How do you do?”“I love you.”と挨拶を交わす様子が描かれています。
Stanza 4では雰囲気が一変します。耳を聞き澄ませると、幼子たちが泣くのが聞こえます。彼らが育っていくのを見ると、自分(大人)が知る以上にずっと多くのことを学ぶだろうと結んでいます。
この曲は、1967年にリリースされ、当時の時代背景を抜きには語れません。当時のアメリカでは、Martin Luther King牧師(1929-1968)による人種差別撤廃を求める公民権運動(Civil Rights Movement)と益々エカレートしつつあったVietnam戦争の是非が叫ばれていました。筆者が渡米した1968年4月にKing牧師が暗殺され、それを機に人種間の対立は激化し、もう一方ではVietnam戦争を巡り、世代間の対立(generation gap)が顕著になりつつありました。
この曲を作詞したBob Thiel(1922-1996)とGeorge David Weiss(1921-2010)は、同年輩のKing牧師が提唱する非暴力の公民権運動に共感していたものと思います。この曲の歌詞は、多くの点で、King牧師によるMarch on Washington 1963での“I Have a Dream”Speechと重なります。King牧師のメッセージは一貫して、肌の色いかんに関わらず、全ての人々は平等で、全ての文化は美しいという考え方を訴えています。木々や花々が美しいのはその色彩が豊かであり、虹が美しいのは複数の色が織りなすから。それは木々や草花や虹だけではなく人々も同じで、だから世界はwonderfulなのだと訴えているのでしょう。
筆者は、その流れでStanza 2の“the bright blessed day”と“the dark sacred night”という2つの名詞句に注視しました。筆者は、拙著『言語コミュニケーションの諸相』(2000、創英社三省堂書店)の第9章「言語コミュニケーションの負の遺産:辞書編纂への指摘」と題し、Oxford English Dictionary(OED, 2nd Edition)で、“black”が古代英語から現代英語に至るまでどのように定義されてきたかその変遷を調べました。元は“the absence of colour, due to the absence of light absorbing all light”(光を吸収するために光の欠如による、色彩の欠如)という意味であったのが、歴代のキリスト教の言説を通し、聖なるものを「光」(brightness)とする見方の対極に、不浄なるものを「闇」(darkness)とする見方を固定して文化に根付かせていくのです。
例えば、17世紀において、King James Bible(KJB)、ShakespeareのOthello(*9)などの作品、筆者が卒業論文と修士論文で扱ったピューリタン文学の傑作John BunyanのThe Pilgrim’s Progressを読むと、そうした連想が既に定着し、常套化していたことが伺えます。これらの作品においては、主人公が惨禍に見舞われたり、悪い人物が登場したりするシーンになると、“black”という言葉とともに、“dark”, ”dirty”, “foul”, “malignant”, “wicked”, “ugly”, “lowly”などのnegative(pejorative)な語が多出します。その後もそんな慣習は継続され、5世紀経た現在では、“white”, “sacred”, “good”, “fair”, “beautiful”, “noble”, “bright”, “light”, “day”, “blessed”を一括りに、反対の“black”, “bad”, “ugly”, “lowly”, “dark”, “night”, “damned”を一括りにしてステレオ・タイプする慣習が根付いてしまったのだと思います。(*10)読者もOxford English DictionaryやWebster International Dictionaryなど、各語の歴史的背景を詳しく書いた権威ある辞書をチェックしてみてください。
アメリカでは1960年代に“Black is beautiful!”Movementが起こりましたが、それはそうした既存の意味論への戦いでもありました。King牧師もアフリカ系アメリカ人が自分の肌の色と文化に誇りを持ち、白人社会に対して、いかに“Black is beautiful!”であるかを理解してもらおうと考えていました。(*11)その運動は、すぐに他のマイノリティー・グループにも広がります。アジア人もアメリカ社会では差別の対象になってきました。OEDやWebsterで“yellow”をチェックすれば、西洋社会では長く“cowardly”という意味で使われきたことがわかります。(*12)
実際に1920年代には東アジア系の移民に対し、黄禍論(The Yellow Peril略称Y&P)という強烈な排斥運動が起こりました。映画“Gone with the Wind”の主役Clark GableやJohn Wayneらが出演する映画でも“I ain’t (no) yellow.”とか“You're yellow!”という台詞がよく出てきます。日本でも親しまれた「ティファニーで朝食を」(1961,Breakfast at Tiffany's)に出てくるMicky Rooney演じるMr. Yunioshiはそのcaricatureです。(*13)ルネッサンス時代に遡るような話ですが、筆者が1970年代にアメリカで会ったアジア系アメリカ人はこの意味論と戦っていました。それに呼応するかの様に、1966年ヒット曲The Beatlesの“Yellow Submarine”や1973ヒット曲Tony Orlando and Dawn “Tie a Yellow Ribbon Round the Oak Tree”がリリースされ、“yellow”の意味論を「平和」に変える手助けになったと思います。
さて、そこでStanza 2です。これらの2つの句では、“day”に“blessed”が、そして、“night”に“sacred”という言葉が付され、古い意味論が残る1960年代には衝撃的なインパクトがあったと思います。(*14)上記の伝記にもあるように色々な人種的バックグランドの人たちと交流しながら差別を戦い抜いてきたSatchmoが歌うところに意味があります。彼は、政治的な運動にはあまり関わらず、白人社会からも尊敬を受けていたので、当時の過激なアフリカ系アメリカ人には不評でしたが、King牧師と同じスタンスを取り続けました。すなわち、Stanza 1からStanza 2に表現されるカラフルな世界、すなわち、様々な人種の調和を重んじて歌い続けたのです。(*15)
Stanza 3は、そうした自然界の様々な色と様々な肌色の人々を結びつけます。空に掛かる色の調和と美の象徴である虹“rainbow”が、それを見上げる人々の顔に映し出され、 “How do you do?”と挨拶し、握手を交わします。人種が肌の色を超えて初めて手を握り合う瞬間を象徴的に描いています。筆者は、ここで、“They're really saying I love you.”の“really”に注目しました。日本語に訳せば「何と心底から」に近い意味で、「何と心底から“I love you”とさえ言っているではありませんか?」という意味に解釈しました。未だかってそんな言葉は交わされたことがなかったことを想定(presupposed/implied)しているかの様です。(*16)
1962年の名画“To Kill a Mocking Bird”「アラバマ物語」や1967年の名画“In the Heat of the Night”「夜の大走査線」にも描かれているように、1960年代には、特にアメリカ南部の州で白人(正式にはCaucasians)とアフリカ系アメリカ人が席を共にしたり、握手をしたり、ましてや、“I love you.”などと言って挨拶するなど考えられませんでした。筆者自身1968年にこれらの映画のシーンとなった場所に住んだり旅したりしてその緊張感に満ちた雰囲気を目で見、肌で実感しました。(*17)そんな中、King牧師がこれらの地域で公民権運動を唱えながら行進したのです。
“March on Washington 1963”をはじめ亡くなるまで各地で続けたKing牧師のマーチを記録した写真には、人種、宗教、文化を超えて様々な人々が手を組んで行進している姿が映し出されています。 “I see people shaking hands.” “Saying How do you do?” “They're really saying I love you.”の3つの文からそんな様子を感じ取りました。あるいは、行き交う人々がさしたる意味もなく挨拶をしているだけかもしれません。しかし、“They're really saying I love you.”という文の“really”に、それだけでは説明できない重さを感じます。
Stanza 4は、大人の世界から乳飲み子に視点が移ります。乳飲み子が泣き、彼らが成長し、想像以上のことを学ぶという、単なる一般論的な感想とも取れますが、上記の流れで当時の時代背景に照らして解釈すると、そんな牧歌的な雰囲気はすっ飛びます。Vietnam戦争中なす術もなく戦火の中を泣き叫びながら逃げ惑う子供たちの悲劇を捉えた写真集“Images for Vietnam War Pictures Pulitzer”を見れば一目瞭然です。こんな中でも子供たちが育ち、こうした惨禍を繰り返す大人たちの想像を超えて、いやそれ以上のこと、即ち、いかに平和を保つかを学ぶだろう、といった意味が浮かびました。Stanza 4は、乳飲み子の鳴き声は、そうした色とりどりで美しい平和な世界への願いを込めた抗議の声なのです。
根底に二つの全く異なった世界の対比が隠されていると感じました。この曲がリリースされた1967年から約20年経て作られた“Louis Armstrong -What a Wonderful World (Good Morning Vietnam Soundtrack)”にそのヒントがあります。Vietnam戦争下の緑の大地と人々が破壊されて行く様は、バックに流れるこの曲の歌う世界と真逆のものです。この映画はそうした状況へのアンチテーゼとして痛烈な批判をしています。Stanza 1とStanza 2で描かれた緑と色とりどりの花に覆われた美しい大地は、人々がStanza 3で描かれた行動をする場であることを訴えている、と解釈しました。
さて、最初に、この歌詞全体が、“I see”と“I hear”という無意志の知覚動詞(involuntary verbs of inert perception)が、単純現在形(the simple present tense)の一つの用法である無限的用法(unrestrictive use)と相まって、見ること聞くことが永遠に続くことを示唆していると述べました。関連して、当然、“see”と“hear”の目的語、即ち、何を見たり聞いたりするかも重要です。“trees of green”, “red roses”, “them bloom” “the bright blessed day” “the dark sacred night” “the colors of the rainbow…also on the faces of people going by”は、それぞれ、“trees are green” “roses are red” “they bloom” “the day is blessed” “the night is sacred” “the colors of the rainbow are also on the faces of people”という文で言い換えられます。周知の様に、be動詞の“is”と“are”は状態を表すstate verbで、その状態が永遠に続くことを示唆します。また、“bloom”はStanza 4の“grow”と同じく、過程を示す動詞(process verb)です。これら状態および過程を表す動詞は無意志の動詞で、単純現在形the simple present tenseを取ると、そのunrestrictive useが顕著となり、それぞれの動詞が指示する状態や過程が永遠に続くことを示唆します。それらが、同じ効果を持つ“I see”と“I hear”の目的語となることにより、文全体の永遠の持続性が相乗効果的に強調されるのです。
とは言え、同じ“see”、“hear”の目的語でも、“friends shaking hands saying how do you do”では違います。この部分は“friends are shaking hands saying how do you do”という文に言い換えることができます。“Shake”は行為や出来事を表す動詞(event verb)(*18)です。この種の動詞がthe simple present tenseで使われると、通常、その行為が短期で収束すること(instantaneous use)を意味します。有意志なので、命令形にも進行形にも使用できます。これらevent verbs進行形は「その行為がいつかは止まる」ことが想定されています。“I'm swimming”では、現時点では泳いでいてもいつかは止まることが想定されています。“They're shaking hands”にはいつか止めてしまうかもしれないという危うさが想定されています。“They're really saying I love you.”ではその対比が更に厳しくなります。“I love you”のloveは心理的状態を表すstate verbですから永遠に続く筈ですが、“They're really saying…”の目的語であり、いつかは言うのを止めてしまうかもしれないという危うさに委ねられていることが分かります。
この曲が希望を感じさせながらも、どこか憂いを感じさせるのはそうした脆さ故かもしれません。サビ(hook)には、そんな杞憂があっても、過去の歴史では考えられなかった“They're really saying I love you.”という状況に代わりつつあり、だから“I think to myself what a wonderful world.”と結んでいるのでは?筆者はそんな思いを込めてこの曲を歌うことにしています。本コラム第124回で、Procol Harumの“A Whiter Shade of Pale”の解釈をめぐって述べたとおり、歌も含め言説の解釈は解釈する側がその時々の状況に基づいて新しい世界を作り出すことです。勿論、作者の真意を探ることは大切ですが、これに正しい解釈というものがあるかどうかは疑問です。この曲においても、基本的なものは抑えながらも様々な人達によって様々な歌い方で受け継がれてきました。
Satchmoは、この曲がリリースされた1967年から亡くなるまでの1971年まで、南部州中心にアメリカ各地を訪れました。1876年に施行され1964年まで効力を持ち続けたジム・クロウ法(*19)による人種差別、そして、Vietnam戦争の惨状を頭に描きながら、平和を願いつつ歌ったものと思います。(*20)1987年にリリースされたVietnam戦争を痛烈に批判したコメディー映画“Good Morning Vietnam”で、Satchmoが歌うこの曲をバックで流したのはその為でしょう。原作者Mitch Markowitzと監督Barry Levinsonは、恐らく青春時代にVietnam戦争を経験し、Vietnam戦争の愚かさをこの曲が描く世界と対比させて皮肉ったものと思います。
この映画がリリースされた1980年代もまた激動の時代でした。1978年に勃発したアフガニスタン紛争(1978-1989)で米ソの対立は激しくなり、1980年のモスクワ・オリンピックのボイコットに発展し、1986年にはチェルノブイリ原発事故、そして、現在の(The)Coronavirus Pandemicのように、HIVとAIDSの猛威が世界を震撼させました。アフリカの各地で内紛が勃発し、その結果飢饉に見舞われました。1960年代の世界的不和は場所を変えただけのことです。この映画はVietnam戦争を題材にしていますが、実際にはこの時代の状況をVietnam戦争に擬えており、この曲は1980年代にも平和を訴える曲として鳴り響きました。各国でTVコマーシャルに使用され始めたのもこの頃で、日本では1983年Honda Wonder Civicのコマーシャルで流されました。グローバル企業は、国際協調、世界平和、人権を尊重する企業であることを訴える必要があり、そのメッセージを伝えるためにこの曲はとても効果的であったと思われます。
そして1990年代から現代に至るまでも、数多くの映画やテレビ番組で使用されています。特に、西暦2000年以降、以下のサイトが示す通り、多くの歌手に歌われています。
“Rod Stewart —What a Wonderful World” (2004)
What a Wonderful World—Sarah Brightman
Katie Melua and Eva Cassidy—What a Wonderful World (2007)
“What a Wonderful World—Susan Boyle—Lyrics”
それぞれの歌手が、それぞれの思いを込めてこの曲を歌っていますが、そのコア(core)、核心にある心象はSatchmoのそれと同じです。
Satchmoには子供は居ませんでしたが大の子供好きでした。ハーレムの自宅玄関先で近所の子供たちにトランペットの吹き方を教えていたようです。現在その家はLouis Armstrong House Museumになっており、そこを訪れたニューヨーク在住の筆者の友人夫婦が筆者に送ってきたハガキには次のように書かれています。
“Louis never had children but always made time to hang with the neighborhood kids on his front stoop.” ©Louis Armstrong Museum
Louis Armstrong Museum購入ハガキの表面と裏面の写真
この曲のStanza 4に描かれているように、子供たちは大人が想像する以上に色々なことを学ぶ様子を体験していたようです。そんなSatchmoが今生存していたら喜びそうな光景が次のサイトにあります。世界中の子供たちが一緒になってこの曲を歌っています。子供たちの世界には壁はありません。
そして、現在2020年、世界は未曾有の病魔に襲われ、今や、それをどう収束するか、色々な利害が交差する中、全人が結衆して知恵を絞らなければなりません。まさにglobal collaborationが不可欠です。世界の各地の民衆の間ではそんな動きが芽生えているようです。(*21)そんな時この曲が自ずとあちこちから鳴り響いてくるのです。オーストラリアのミュージシャン達の声です。1985年の“U.S.A. For Africa - We Are the World”と同じスピリットです。(*22)
“Aussie Pop Orchestra Phoned it In- What a Wonderful World”(2020)COVID-19
読者の皆さんもこの曲の歌詞を振り返りながら、YouTubeにあるカラオケに合わせて歌ってみましょう。
“What a Wonderful World Karaoke”
Louis Armstrongは夫人とともに数度日本を訪れてコンサートを行い、日本をとても愛したようです。そんな日本訪問の際、筆者の知り合いの写真家小塩寿夫氏が撮った貴重な写真があります。この騒ぎが収まったら是非、Louis Armstrong House Museumを訪ねてみようと思っています。(*23)
(2020年5月1日記)
(*1)“World Greatest Trumpet Players of All Time”Satchmoは生涯に亘り唇の損傷(lip problems)を抱えながらトランペットの演奏を続けました。
(*2)Satchmoは世界で最初にスキャット(scat)をレコーディングしたことでも有名です。Satchmoが交友した音楽関係者には、Bing Crosby、Duke Ellington、Bessie Smith、Ella Fitzgerald、Mahalia Jacksonなどの錚々たる名が連なります。本コラム第129回で紹介したDany Kayeとも共演し、Danny Kayeとの「聖者行進」“When The Saints Go Marching In”は日本でも流行りました。彼のバンドでの演奏と一緒に聞いてください。また、Barbra Streisand主演ミュージカル“Hello, Dolly”で歌った主題曲“Hello Dolly”は1964年5月にBillboardヒットチャートでThe Beatlesを抜き第1位に輝きました。
(*3)作品中の“I”が書き手なのか作中の主人公なのかについてliteral critiqueで多く議論されてきました。
(*4)他にも“feel”“taste”“smell”などがあります。英語用語は、G. LeechのMeaning and the English Verb(1971, Longman)からです。英語学の専門書ですが、現代英語のcorpusに基づき、英語動詞(助動詞も含む)と関連する時制、法性、相などにつき分かりやすく説明しています。例文も豊富で、GRE®、GMATTM、LSAT®、MCAT®テストの準備に役立ちます。もちろん英語writingにも役立ちます。大学図書館などでチェックしてみてください。
(*5)受験勉強で学んだと思いますが、意図的に見たり、聞いたりする表現としては“look at”や“listen to”があります。ちなみに、“feel”“smell”“taste”には意図的に「触る」、「嗅ぐ」、「味見する」ことを表現する他動詞的用法があります。これら意志動詞は現在進行形と命令形を取ります。「会う」という意味の“see”もこのクラスに属します。
(*6)例えば、“I think that they are coming.”における“think”は無制限現在形(“unrestrictive present”)で、“*I am thinking that they are coming.”のように進行中の動作が有限であることを示す現在進行形にしてしまうと違和感を覚えます。(Leech)
(*7)松尾芭蕉の「古池や蛙飛び込む水の音」は、饗宴の騒々しさとは正反対の静寂の中の微かな水音を捉えています。動と静の違いはありますが、一瞬の光景を不滅なものにする点で共通します。この句は永遠にその水音を運び続けます。
(*8)色の識別は光の明暗に関係します。
(*9)Othello(The Tragedy of Othello, the Moor of Venice)の主人公Othelloはムーア人の将軍です。ムーア人は元々は北西アフリカに住んでいたアラブ系の人々を指しましたが、後にアラブ系の人々全体を指すようになりました。肌の色は西欧人と比べるとdarkです。ちなみに、キリスト教の聖書に描かれているアブラハムはメソポタミアUr地方出身で、その末裔であるイザヤなどの預言者、ダビデやソロモンなどの王、そして、イエス・キリスト自身、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ、ペテロ、パウロなどの使徒はみなイスラエル12部族に属し、現在の中近東地域の住民であったことから肌の色は同じであったと思われます。
(*10)William Blakeの詩やCharles Dickens小説でも取り上げていますが、かつての英国社会では煙突掃除夫(chimney sweeper/sweep)が卑しめられていました。煤みにまみれて真っ黒になったことから厭われ、“black”と“lowly”を結びつけた一例でしょう。現在で使われている“blacklist”という混成語にも“black”を“foul”や“wicked”と結びつけて来た古い意味論の伝統が残っています。カタカナ表記で日本語にも入ってしまいました。
(*11)同時期にKing牧師とは対照的な運動を繰り広げたイスラム教のMalcom X師がいます。Spike Lee監督の名画“Malcom X”(1992)ではMalcom Xが何故イスラム教に改心したかを回想するシーンがあります。英語辞書で“black”を引き記された意味のひどさに愕然とするシーンです。詳細は、拙著『言語コミュニケーションの諸相』の12章にあります。同監督の“Do the Right Thing”(1989)とともに視聴を勧めます。
(*12)Webster's Third New International Dictionary(1993版)で、“yellow”と“yellow peril”をチェックしてください。
(*13)“Breakfast at Mr. Yunioshi's”
(*14)古い伝統では“dark sacred night”という句は“night”と“dark”は“sacred”に相反し矛盾(contradiction)するのであり得ないでしょう。敢えてこの句を入れてそれが矛盾しないことを訴えているところにもこの曲の新鮮さがあります。
(*15)この曲は当初アメリカでは売れず、イギリスで売れ、ヒットチャートに乗るや、逆輸入の様な感じでアメリカでもヒットしました。
(*16)挨拶で交わされる言葉はphatic communionと称される常套句の一種で、字義通りの意味を伝えるものではありません。“I love you.”は微妙で、字義通りに使われる場合と社交辞令で使う場合があります。この歌詞の“really”には、外交辞令ではなく、まさに字義通り心底から“I love you.”と言っているというニュアンスを込められていると解釈しました。
(*17)1968年3月Louisianaに向かうバスの中で、筆者は黒人男性(Sydney Poitier)と白人女性の恋愛を描いた“Guess Who's Coming to Dinner”(1967)を上映していた映画館の周りで上映反対のデモをする人々の姿を目撃しました。
(*18)Leechの用語を使いましたが、process verbsとaction verbsを総称してevent verbsとすると有意志動詞“shake”はaction verbに当たります。呼称は分析者によって異なります。別稿でCharles Fillmoreと筆者の恩師Walter CookのCase Grammar(各文法)を取り上げる際に詳しく説明します。
(*19)Jim Crow lawsアフリカ系アメリカ人のみならずNative Americans、褐色人種、黄色人種も差別の対象としました。1962年Alabama知事になったGeorge C. Wallace(1919-1998)は、Jim Crow lawsを肯定した人種隔離政策を堂々と掲げ、民主党の大統領候補選にも参入していました。
(*20)Satchmoは、政治的発言が少ない穏健派でしたが、人種隔離政策に関するアイゼンハワー大統領の姿勢に対しては“two-faced”(どっち付かず)と厳しく批判して注目されました。
(*21)コロナウイルスは状況により変容し、その感染予防と治療薬開発には世界中のデータと知見が必要です。世界の全地域の医療専門家によるcollaborationが無ければ制することができません。自国だけの問題では無いことは明らかです。ウイルスの感染は国境を超えて(beyond nation and state)瞬時に広がるからです。古代オリンピックが一旦戦争をやめて集った平和の祭典であったように、個々の利害を一旦脇に置き一致団結してコロナウイルスに立ち向かい平穏な生活を取り戻すべきです。
(*22)1980年代半に出版された“What's New 1?”(東京書籍)と称する高等学校英語検定教科書のLesson 12“We Are the World”は筆者が担当・執筆したもので、この曲を紹介しました。Harry Belafonteの要請で集まったアメリカの著名なmusiciansがアフリカ飢饉を救うために募金運動しました。
(*23)Jazz Ambassadorとして来日し、1953年横浜ホテル・ニューグランド、1963年新宿厚生年金ホール、1967年新宿厚生年金ホールで演奏しています。小塩氏の写真は1963年新宿年金ホールでの演奏中に撮影したものと思われます。